ラグランジュは数理科学にそびえる金字塔だ。
これはフランスの皇帝ナポレオンがラグランジュを賞賛する時に述べた言葉です。
そんな世界的に有名な皇帝をも惚れさせた近代最強の数学者、ラグランジュを今回ご紹介します。
ラグランジュは知る人ぞ知るという数学者ですが、現代にまで彼の数学的思想は引き継がれている、めっちゃスゲー人物なのですよ。
これからラグランジュの生き様、そして業績をご紹介していきます。
では参りましょう!
ラグランジュの生き様
ラグランジュの生い立ち
1736年、ラグランジュは、イタリアのトリノで生まれました。
本名は、ジョセフ・ルイ=ラグランジュ。
ラグランジュの生涯を一言で言うなら、逆境をパワーにして生きてきたと言えるのではないかと思います。
というのも、ラグランジュの父はなんと資産をほとんど失ってしまいました。
これにより当然ラグランジュの生活も一変。貧乏生活を強いられたそうです。
しかし、資産を失ったことがきっかけで、ラグランジュは数学の才能を発揮したといえます。
事実ラグランジュは晩年「もし財産を相続していたら、きっと数学に運を託す事はなかったはずだ」と語っています。
それほどラグランジュは数学者人生で数多くの貢献を果たしていますが、学生時代は意外にも、古典に興味を持っていたそうです。
その古典の勉強を通じて、古代ギリシャの科学者、数学者たちの著作に慣れ親しんでいきました。
学生時代は古典学者になるつもりだったそうです。
しかし、とある本がきっかけで数学にのめり込んだのでした。
その本とはニュートンの微積分について解説された本。
著者はハレー彗星で有名なエドモンド・ハレーという。
なんとも豪華な顔ぶれが集う時代ですね。
ラグランジュは独学でその本を読んで数学を学び、新しい数学に惚れ込んでいきました。
なんでも当時は、微分積分という画期的な数学理論が発展した時代でもあり、活気付いていたと言うのもあるのでしょう。
ラグランジュはまさに天才で、若くして数多くの業績を残していきます。
どんどん生み出される新たな理論たち!
ラグランジュは19歳の時、「解析力学」という本を書きました。
この本が公に出版されるのはその33年後と遅めですが、のちに世界最高の数学本の1つとして認められるほどの大傑作でした。
そんな大傑作をすでに10代の頃に書いてしまうのは恐るべしです。
ラグランジュの才能は少し特殊でして。
なんと力学という分野においては、すべて4次元(3次元空間+時間の1次元)で一般化した幾何学として理解することができたそうです。
ちょ、ちょっと何言ってるかわかんねぇ…。
そういったことから、どんな種類の図形や絵も役に立たないと主張し、幾何学、すなわち図形の学問が好きではなかったそうです。
ここからラグランジュの怒涛の貢献ラッシュが続きます。
- 空間と時間を融合させて時空の概念を作り出した
- 変分法という理論を生み出し、ニュートンの力学理論をより発展させる
- 20代前半の頃、統計学の問題に微積分を応用して、確実論にも貢献
- 空気の粒子の運動を研究
- 音の数学理論を研究
…などなど。
このラグランジュの手腕は、数学の巨匠オイラーすらも目を見張るほどだったと言われています。
ラグランジュが23歳の頃には、オイラーやベルヌーイと肩を並べる偉大な数学者として、世界中に認められたのでした。
ラグランジュヤバすぎ〜!
オイラーを継ぎ、アカデミーを牽引
オイラーはラグランジュの才能に魅せられました。
「よし!ラグランジュをアカデミーに入れよう!」とオイラーは、ラグランジュをプロイセン王立アカデミーに加入させる計画を立てました。
ちなみに、このプロイセン王立アカデミーは超権威的なアカデミーです。
仲間入りするということは、歴史に名が刻まれることが約束されたみたいなものと言えます。
そして、フリードリヒ大王はラグランジュをベルリンに招くことにしました。
最初は招かれるだけだったそうですが、ベルリンに向かう前にラグランジュは、月の動きを明らかにする問題を解いていました。
フランス科学アカデミーから賞を受賞したのでした。
さすがラグランジュ!
また太陽・地球・月が互いに重力を及ぼし合う有名な「三体問題」を進展。
他にも、いろんな複雑な問題の解を導いたことで、いくつもの賞を受賞したのですね。
1766年、30歳の頃にラグランジュはついにベルリンアカデミーに向かい入れられました。
そして、しばらくしてオイラーが勤めていた数学部長の地位を引き継ぐことになりました。
その後は、数学者ルジャンドルとともに解析力学という新しい物理数学の分野を開拓したり、「オイラー・ラグランジュ方程式」という汎函数という理論でとても重要な概念となる理論を導き出しました。
その他にも、ラグランジュは代数学の分野でも後世に新たな視点を与えてくれています。
代数学とは方程式の学問です
バビロニア人、エジプト人、ギリシア人、そしてその後のアラブ人やイタリア人など、古代からずーっと1次、2次、3次、4次と次々に高い実数の高度な方程式の解法について幅広く研究してきました。
しかし、ラグランジュは任意の次数の方程式の一般的な解法を見つけようとしました。
つまりは以下のような、xにおけるすべての次数における方程式の解を見つけようとしたわけですね。
\(a_{ 1 }x^{ n }+a_{ 2 }x^{ n-1 }+a_{ 3 }x^{ n-2 }+…+a_{ n }x=0\)
※ただし、\(a_{ 1 }、a_{ 2 }、…、a_{ n }\)はすべて係数
この普遍性を追求する姿勢が数学者らしくていいですね〜。僕は好きです。
ラグランジュは方程式について、画期的な発見をしました。
方程式の係数を用いて表現した解の並べ方が何通りあるか?
これが方程式が解けるかどうかと何らかの形で関係していると言うことに気づき始めたのです。
最終的には、ラグランジュは解決することはできませんでしたが、ラグランジュの新しい着眼点は後の若き天才数学者アーベルやガロアに引き継がれることになります。
他にもラグランジュ関数やニュートン力学の発展、素粒子論など現代物理学において、とてつもない重要性を持っている貢献をしまくってアカデミーや物理学界隈を牽引していきました。
ラグランジュはその後、ルイ16世からパリの王立アカデミーに招かれ、王女マリーアントワネットにも高く評価され、しばらくルーブル宮殿の王室で暮らしていたそうです。
つまりは、世界がラグランジュを求めていたというわけです。
すごいぞラグランジュ!
ラグランジュ万歳!!
これぞ世界のラグランジュ!!
晩年の鬱。そして回復までの道のり
と、このように若い頃からずーと第一線で大活躍してきたラグランジュでしたが転機が訪れます。
なんと、50代になってひどい鬱になってしまいました。
どうした!?って話ですが、どうやら数学への熱意を失ってしまったそうです。
時代の変化によって、化学をはじめとした分野がトレンドになっていると考えたらしく、「数学なんて無意味だ」と感じていたのだとか。
まぁ今まで人生かけて追求してきたことが無意味だった、と考えると確かにおそろしく虚無になりますよね…。
元気出せよ!ラグランジュ!!
と、おそらくひどく落ち込むラグランジュをアカデミーのメンバー一同で励ましていたんだと思います(多分…w)
そんな中!
天才数学者ラグランジュは一発で鬱を抜け出しました。
それが‥‥
恋でした…
ん?なんすか?この変な空気?
いいじゃないですかー!
恋したって!人間だもの!笑
50代のラグランジュでしたが、実に40歳近く年下の若い女性のおかげで気分が上向きになったそうです。
天才数学者が導き出した、憂鬱を抜け出すための解は「恋」!
友人の天文学者の娘、「ルネフランソワ」が落ち込む中年ラグランジュを不憫に感じたらしく。
それで結婚申し出たそうです。
そんな理由で!?と思うかもしれませんが、結婚した2人はその後に、幸せに暮らしたそうです。
特にラグランジュの人生は、この出来事で一気に変わりました。
ラグランジュはうつが一気に改善し、彼女を溺愛。
そして若い頃に構築した解析力学の理論の改良・編集に尽力することにしたのです。
さらには当時フランス革命が起こったのですが、その後に科学者の一員として活躍し、なんと世界で採用されている単位「メートル」の制定に貢献しているのですね。
そして、ラグランジュは最後の最後まで科学に貢献して、1813年、75歳でその生涯を閉じたのでした。
ラグランジュの像は、トリノにあります。
というラグランジュの生涯でした。
皇帝ナポレオンが「彼は科学の金字塔だ!」と賞賛するのもうなずけますね。
ラグランジュの功績
これからラグランジュの功績を3つご紹介していきます。
解析力学の創始者
ラグランジュは解析力学という物理学における新しい分野を開拓しました。
ちなみに、解析力学とは物体の動きや現象を数学的に表現する手法です。
実は以前からすでに物理学は存在しており、ニュートン力学と呼ばれていました。
このニュートン力学は物体と力との関係に焦点を当てた物理学が主流でした。
しかし、ラグランジュは物体とエネルギーの関係性に注目した新たな物理学を提唱したのですね。
これが「解析力学」とされ、従来の物理学より抽象化でき、さらに複雑な物理現象をも解明できるようになったと言われています。
「ラグランジュ力学」などと言われたりもしています。
変分法の発明
変分法とは、関数の中の「特定の条件を満たし、ある量を最小化または最大化する」関数を見つけることを目的とした手法です。
この手法のメリットは、最短経路を求めたり、物理におけるエネルギー最小化など、自然界や技術的な問題に広く応用されています。
この変分法は、当時のトレンドだった微分法とはまた1ランク上の抽象的な概念で、特に構造力学、自然現象、電気など工学系の分野において、エネルギーの安定性、効率化、保存則、そして経済面などに応用されているそうです。
ちなみに、汎函数(はんかんすう)という分野において特に有名な、「オイラー・ラグランジュ方程式」を編み出して今す。
さらには、ラグランジュ乗数という概念なども生み出しているのですね。
メートル法の制定に大きく貢献!
なんとラグランジュはメートル法の制定に大きく関わっています。
メートルは、僕たちが普段からお世話になっている「道のり〇〇m」のこのm、メートルです。
当たり前のようにメートルを使っていますが、実は昔は地域や国ごとに単位がバラバラだったのです。
この単位がバラバラというのが実に厄介です。
なぜなら、単位がバラバラということはそれぞれの地域の単位についての知識を学ばなければならないからです。
日本で例えるなら、県外に行くたびに、その県の言葉を覚えなければならないみたいな、それに似た感じです。
この単位が一律ではない問題は、商取引や科学的なコミュニケーションを混乱させる要因になっていました。
ですので、当時フランス革命が終結したのち、全国的に統一された計量システムを導入するために、科学者たちが集まり、標準化を進めることになりました。
この科学者にラグランジュがいたのですね。
メートル法の定義として、彼らは地球の子午線の長さの1/10,000,000を基準にすることを決定し、これが「メートル」の基礎になりました。
ラグランジュは、数学者としての経験を活かし、この基準の正確な計算や測定に貢献したというわけです。
メートル法はフランスで定まりましたが、国内だけでなくやがて世界中に広がり、現在でも国際的な標準として使われています。
ラグランジュは、数学者としてだけでなく、計量の分野にも影響を与え、その影響は現代にまで受け継がれているのですねぇ。
ラグランジュの生き様・業績のまとめ
今回は、ラグランジュの生き様・業績について解説しました。
ラグランジュは数学・科学、そして世界の基準に至るまで大きく貢献した偉大な数学者です。
ラグランジュは純粋なる数学理論というよりも、物理学や応用数学における貢献が大きいです。
この時代は微分積分の中心とした、実社会への応用向けの数学がトレンドだったという時代背景が伝わってきますね。
ラグランジュについて興味があれば、調べてみると面白いですよ。
彼の業績は、単に理論的な発展にとどまらず、具体的な応用にも役立ちました。彼の研究成果は現在も学問分野において重要な基盤となり、その功績は未来にわたっても輝き続けるでしょう。
ぜひ参考にしてみてください。
参考文献
今回の記事の参考文献は「天才数学者列伝」です。
少し教科書風な感じでの文章テイストですが、いろんな数学者の人生が描かれていて面白いです^^