どうも、丸田です。
「この世界は何でできているのか?」という問いは、古代から現代に至るまで科学者が追い求め続けてきたテーマです。
今回は、世界の根源を探る「万物の起源(アルケー)」の歴史をご紹介します。
人類はどのように世界を捉えようとしてきたのかが、明らかになりますよ。
今回ご紹介する人物たちは以下のとおりです。
- タレス
- ピタゴラス
- アナクシマンドロス
- アナクシメネス
- ヘラクレイトス
- エンペドクレス
- デモクリトス
- プラトン
- アリストテレス
万物を提唱した人物たち
タレス「万物は水である」
タレスは(紀元前624年頃 – 紀元前546年頃)はギリシャのミレトス学派と呼ばれる哲学者で、哲学・数学の始祖と呼ばれる人物です。
ですので、「万物は何であるか?」を探る風習はタレスから始まったといっても言えます。
そんな記念すべき第一声は「万物は水である」でした。
つまり、すべての物質や生物は水でできているという理論です。
「えぇ?」と思うかもしれません笑
ですが、土や草、樹木などは全て水がいろんな形となって生み出していると考えたのです。
イメージとしてはこんな感じです。
海があって、太陽の光によって蒸発。
それが雲となり、雨となって大地に水の恵みをもたらし。その結果、人間や動物、植物が誕生したと考えていたのですね。
最後、タレスは水分が不足して生涯を閉じたとされており、その間際に「やはり万物は水でできていたか」と思って寿命を迎えてとも言われております。
ということで、初の哲学者・数学者タレスの理論は、万物は水であるでした。
その時代においては、とても根源的に近づいた秀逸な理論だなと感じますね。
ピタゴラス「万物は数である」
ピタゴラス(紀元前570年頃 – 紀元前495年頃)はタレスの影響を受けて、哲学・数学の道を歩みました。
そんなピタゴラスもタレスと同様に、万物を唱えるのですがその内容は「万物は数である」ということでした。
さすが!三平方の定理を証明しただけあって、数学者の鏡!
しかし、万物は数というのはなかなか無理ある理論な気がしますねぇ…。
なぜピタゴラスは万物は数と考えたのか?
それは彼が「数が宇宙を支配する」と考えていたからです。
ピタゴラスは数学を研究する中で、三平方の定理の証明、他にも音楽や天文学など、身の回りの自然現象が数的法則で成り立っていることを確信しました。
特にピタゴラスは整数比(分数で表される数字)を重要視しており、身の回りの物質の縦横の長さなどもすべて整数比で表されると信じていました。
そういった経緯から、「すべては数によって支配され、形作られているのでは?」という思いから、万物は数であると提唱したのでした。
ちなみにピタゴラスは数字に非常に強いこだわりを持っていたとされ、数秘術を研究したり、数字を偶数・奇数と分類したとされております。
アナクシマンドロス「万物は無限なるものである」
アナクシマンドロス(紀元前610年頃 – 紀元前546年頃)はタレスと同じ、ミレトス学派の哲学者です。
彼は万物を何と考えたのでしょうか?
「万物は無限なるものである」
…ここで無限と持ち出すのは、反則というか、なんならもう思考やめちゃってません?笑と感じるのは僕だけでしょうか?
無限かぁ…、なんて便利な言葉なんだ。なんでも無限と言えちゃうじゃないか…!
厳密に言えば、「アペイロン」と呼ばれ、無限、無限定、境界のないものを意味しています。
つまりこの世界とは永遠で無限、そして定義されないものとして理解され、宇宙のあらゆるものがそこから生まれ、そしてそこへ帰っていくと考えたのですね。
何というか、世界が何でできているか?を具体的にするのではなく、抽象的に考えた、というのは新しい思想だったのかもしれませんね。
この世界は無限のモヤモヤした部分から、分類され、形が生まれていき、それが天体や自然現象、生命体となっていると考えたわけですね。
そして、消滅したらアペイロンに戻っていく、いわゆる無限と有限の循環を提唱したのがアペイロンの理論です。
アナクシメネス「万物は空気である」
アナクシメネス(紀元前585年頃 – 紀元前525年頃)はアナクシマンドロスの弟子で、ミレトス学派の哲学者でした。
彼が提唱した理論は「万物は空気(アエール)である」とのこと。
師匠アナクシマンドロスの「万物は無限である」から、かなり具体的になりましたね〜。
当時は、死者が呼吸をしないことから、息は生命そのものであると考えられていたそうです。
そこに注目したアナクシメネスは、世界はすなわち空気でできているんじゃね?と考えたそうです。
空気は薄くなれば暑くなり、最も薄くなると火になる。逆に濃くなるにつれて冷たくなって水となり、さらに濃くなると土や石になるという理論を打ち立てました。
アナクシメネスは世界の物質は空気の濃さ薄さで構成されていると考えたのですね。
ヘラクレイトス「万物は流転する(=火でできている)」
ヘラクレイトス(紀元前535年頃 – 紀元前475年頃)は、ギリシャの哲学者です。
彼は万物は何か、というよりも万物の性質に着目した面白い思想の持ち主でした。
ヘラクレイトスは、「そもそも世界は常に変化するものである」と考えました。
つまり、万物は刻一刻と変わっていく、流転するという理論です。
そのことから、万物は流転すると考えました。
彼は「同じ川に二度と入ることはできない」という言葉を残しています。
しかし、その一方、流転していく万物の根源には法則があると考え、その法則は唯一流転しないものと考えました。
それを「ロゴス」と表現し、ロゴスの代表として「永遠の火」と呼びました。
ややこしいので整理すると、
- 万物はすべて変化していく
- しかし万物の根源は一定のルールがあり、それを「ロゴス」とした。
- ロゴスはすなわち火である。
つまり、世界は万物の根源は「火」であるとヘラクレイトスは考えた。
火と言ってもこれはあくまで比喩で、火の性質をもった法則を持ったものという認識です。
火は濃くなれば、水となり、土となる。
逆に土を薄くすれば水となり、されに火となる。
このような法則で火が持つ性質を元にした法則で世界のすべてが成り立っているよということです。
人間は
このことから、万物は火でできている、という理論でもあると言われています。
急にガチガチな哲学の話になりましたね。
エンペドクレス「万物は火・水・土・空気である」
エンペドクレス(紀元前490年頃 – 紀元前430年頃)は、ギリシャで活躍した哲学者です。
彼は一言で言えば、なかなかの反則です笑
なぜなら、「万物は火・水・土・空気である」と述べているのですから笑
なんか既視感あると思えば、火はヘラクレイトス、水はタレス、空気はアナクシメネス。
ほぼパクリやないかーい!笑
唯一、土はエンペドクレスが初ですかね。
今までの哲学者の理論をうまくまとめやがったな…というのが印象ですかね笑
とは言え、エンペドクレスの理論の面白いところはいくつかあります。
- 万物は複数でできている
- 万物をくっつけたり話したりする力が存在する
と考えました。
まず万物は複数からできているという思想ですが、従来の哲学者は万物は1つから成り立つと考えてきました。
それに対して、エンペドクレスは複数の万物の可能性を唱えたのですね。
エンペドクレスは、火・水・土・空気の4つの元素が変わることのない実態であり、完全に分離されるものだと考えました。
さらに、エンペドクレスはこれら4つの元素はくっついたり離れたりします。
愛(フィリア)によって調和され、憎しみ(ネイコス)によって分離されると考えました。
これは、現代の化学や物理学に通じる話でもありますよね〜。
このような感じで、エンペドクレスは4つの元素が万物の根源であり、愛と憎しみの力で調和、分離すると考えた面白い思想です。
過去の哲学者の思想をうまく用いた新しい理論を発展させた哲学者ですね。
デモクリトス「万物は原子である」
デモクリトスは紀元前460年頃 – 紀元前370年頃に活躍したギリシャの哲学者です。
えー、彼は未来から来た人物ですか?と思うほどに、最先端な思想の持ち主です。
彼は「万物は原子(アトム・分割不可能な微粒子)である」と述べました。
現代では、分子や原子、さらには素粒子で物質の根源が成り立っていることがわかっています。
ですので、デモクリトスは2400年近く前にして、すでにほぼ正解を導き出せているわけですね。
これはエグい。
個人的に、デモクリトスとアナクシマンドロスの理論は対照的で面白いと感じますね。
アナクシマンドロスは万物が無限なるもので、すべては万物が細分化して生まれていると考えました。
つまりは、抽象概念→具体概念という思想です。
一方、デモクリトスは微小な物質が積み上がって万物になっていると理論です。
つまり具体概念→抽象概念というのがデモクリトスの思想です。
このあたりが帰納法と演繹法の始まりではないかと考えられます。
プラトン「万物はイデアである」
プラトンは紀元前427年頃 – 紀元前347年頃に活躍したギリシャの哲学者で、大賢者ソクラテスの弟子です。
彼の思想は、数学的でありそして、妄想的とも言えます笑
僕は好きですけどね。
プラトンで有名な理論は「イデア論」です。
イデアとは、ザックリ言えばこの世にはイデアと呼ばれる完璧な世界が存在し、今我々が住んでいるこの世界はその完璧な世界の投影であるという考えです。
ザックリのつもりが余計にややこしくなりました…汗
要するに、完璧な概念だけがある世界があり、この世界はその完璧が歪んだ形で投影された世界だということです。
例えば、僕たちが思いつくアイデアや概念をなぜ思いつけるのか?というと、それはそのアイデアや概念がすでにイデアに存在するから、ということです。
ただし、イデアは完璧であるのに対して、この世界は歪んでいるということです。
他にも、美しさやかっこよさ、正しさと聞くと、何か固定されたイメージが浮かぶと思うのですが、これらもイデアには存在するというわけです。
ちなみに、イデアには美しさやかっこよさ、正しさなどの概念も完璧な形で存在しており、プラトンはこのイデアを目指すことが大切だと述べています。
つまり、プラトンが見る万物とはまさにイデアなのです。
イデアはすべての万物が完璧に存在します。
そんな理想な世界が、僕らの生きている概念とは別の世界に存在するというのがプラトンの主張なのですね。
アリストテレス「万物は目的」
最後はアリストテレスです。彼は紀元前384年 – 紀元前322年に活躍したプラトンの弟子です。
さぞ、アリストテレスは師匠プラトンのイデア論にどっぷりなんでしょ?と思いきや、実はアリストテレスはプラトンのイデア論に反論しています笑
謀反!無礼者!
アリストテレスは、万物はこの世界で完全に理解できるものであると主張しました。
すべての物事には「質料」と「形相」があり、物事はそれぞれの目的(テロス)を持っているとしました。
質料とは、形をとって現れることにより初めて一定のものとなる、素材。
形相とは、形のこと。
要するに質料が材料とすれば、形相はその構造みたいなものです。
万物はその「目的」に向かって変化や発展を遂げていく過程にあるとし、この考え方を目的論(テレオロジー)と呼びました。
つまり万物は目的があるから存在しており、その目的に向かっていくプロセスにあると述べました。
これはヘラクレイトスの「万物流転」に似ている気がしますね。
逆を言えば、目的がないものは万物として存在しないとも言えるのではないかと思います。
確かに何を持って目的があるか、判断できないと考えると、この万物は目的であるアリストテレスの主張はあながち間違いではないのかもしれません。
まとめ
万物は何であるか?を提唱した古代哲学者たちをご紹介しました。
どれも非常に面白いですし、時代によって着眼点が違うのもまた見どころですね。
「万物」というものを、大昔は目に見える物質的なアプローチで考えていましたが、徐々に目には見えない抽象概念を取り入れ始めたりしていました。
しかし、本質的には「この世界を知りたい」という根源的な好奇心からくるものなのでしょうね。
なんだかロマンを感じますよね〜。
ちなみに、最近は世界は「関係」でできているという理論もあります。
あなたは万物は何でできていると思いますか?
ぜひ考えてみてください。