どうも、丸田です。
過去2つの記事に渡ってフェルマーの最終定理についてご紹介してきました。


いよいよ!フェルマーの最終定理のフィナーレです!!
さぁ!これまで数々の数学者が難問に数々の爪痕を残し、そしてついに現れる大天才ワイルズ!
300年以上も解決されず、誰も解決不可能とさえされていたフェルマーの最終定理をどのように解決するのか!?
現代数学の真髄をとくとご覧ください!
どのようにフェルマーの最終定理は解決されたのか?
フェルマーの最終定理、解決までの全体像をご紹介します。
成り立つことを示す手法の1つに「背理法」があります。
この背理法に従って、まずはフェルマーの最終定理が成り立たないと仮定していきます。
数学者ゲルハルト・フライの理論によって、フェルマーの最終定理が成り立たないと仮定すると、ある楕円曲線が作れることになります。
それをフライ曲線といいます。
半安定な楕円曲線とは、簡単に言えば、その還元(簡単化した形)が「良い還元」か「乗法的還元」を持つことを意味します。(詳細は今回省略します)
まぁ要するに、何かしら特定条件における楕円関数という認識でOKです。
モジュラーとは、これも特殊な関数という認識で問題ありません。
つまり、モジュラーではない半安定な楕円関数が存在すると言うことができ、要するに「モジュラーという特殊な性質と、半安定な楕円関数という特殊な楕円関数が対応している」ということです。
ワイルズは「谷村ー志村予想」の一部を証明することに成功します。
この谷村ー志村予想とは「すべての楕円曲線は、モジュラーである」という、あまりに時代を先駆けしすぎていた難しい予想だったと言われています。
ワイルズは、完全には証明できませんでしたが、すべての楕円曲線ではなく「半安定な楕円曲線はすべてモジュラーである」ことをワイルズは証明しました。
※この時に活躍したのが、「コリヴァギンーフラッハ法」というものです。
高校数学で習った対偶を思い出しましょう!(また後ほど詳しく解説します)
「半安定な楕円曲線はすべてモジュラーである」をもっと数学的に言えば、
「半安定な楕円曲線ならば、モジュラーである」と言えます。
これの対偶を取ると(つまりは、論理をひっくり返して否定すると)、「モジュラーでないならば、楕円曲線は半安定ではない」となるのです。
つまりは、モジュラーでない半安定な楕円曲線は存在しないと言えるのです。
フライの理論によって生み出された、半安定でモジュラーな楕円関数。
ワイルズが証明した「モジュラーでない半安定な楕円曲線」が矛盾を引き起こします。
この矛盾によって、つまりは「フェルマーの最終定理が成り立たない」と仮定したこと自体が誤りとなるため、結果、「フェルマーの最終定理が成り立つ」と言えました!!
Congratulations!!
【Step1】フェルマーの最終定理が成り立たないと仮定する
まずそもそもとして、フェルマーの最終定理の歴史を辿る上で、欠かせない人物が存在します。
それは「ゲルハルト・フライ」でした。
彼は1980年頃に、とてつもない画期的なアイデアを提唱しました、
それは「フェルマーの最終定理と楕円曲線は密接な関係がある」ということです。
冷静に考えてみて欲しいのですが、そもそもフェルマーの最終定理って、ザックリ言えば方程式の問題なんですよ。
一方で楕円曲線は図形、いわば幾何学です。
これら2つの異なる分野が密接に関係するって不思議ではありませんか?
これは当時の数学者の誰もが思いつかなかった発見で、めっちゃすごいんですよ。
このフライのアイデアこそが、フェルマーの最終定理解決に大きな王手をかけることになります。
そのような背景があり、まずはフェルマーの最終定理が成り立たないと仮定することで解決の糸口が見えてくるのです。
フェルマーの最終定理を否定するということは、自然数\(n\ge3\)において\(x^n+y^n=z^n\)を満たす自然数解\((x,y,z)\)が少なくとも1つは存在する、となります。
ちなみに証明が困難な場合は、主張を否定して、のちに矛盾を生み出す「背理法」という数学的論証を用いることが多いです。
背理法、最強です!笑
【Step2】仮定から、フライ曲線が作れる
フェルマーの最終定理が成り立たないと仮定すると、ゲルハルト・フライの理論によって、ある楕円曲線が作れるとなります。
【Step3】モジュラーではない半安定な楕円曲線が存在する
※ここから専門的な用語が出てきますが、無視してください笑
しかし、フェルマーの最終定理を否定して作られた楕円曲線には奇妙な性質がありました。
それが「モジュラー性が成り立たない」とゲオハルト・フライは予想したのです。
さらに、この主張をより強固にしたのがケン・リベットという数学者で、「半安定な楕円曲線はモジュラーである」ことを証明したのです。
ここでモジュラーとか半安定とか出てきたので、ザックリ解説しておきます。
関数にはモジュラー関数というものがありまして、簡単に言えば「特定の対称性を持つ関数」みたいなある種の規則正しさを持った関数というイメージです。
その関数の種類の一つに「楕円関数」が存在するのです。
そして、数学者フライが提唱した、フライ曲線というのは、楕円関数であるにもかかわらず、このモジュラーという規則正しさがないという感じです。
いわば、楕円関数の亜種。問題児と言えるでしょう笑
そんな問題児がフライ曲線なのです。
そして、半安定というのは、良い振る舞いをする楕円の1種です。
説明はややこし過ぎるので省きますが笑
つまりは、フライ曲線というのは、楕円関数の亜種なのに、良い振る舞いをする関数ってことです。
イメージするなら、カツのないカツ丼みたいな感じでしょうか笑
【Step4】ワイルズの定理より、すべての半安定な楕円曲線はモジュラーである
ここで活躍するのが「谷村ー志村の定理」です。
この定理は、日本人数学者の谷村豊と志村五郎の天才が生み出した理論です。
谷村ー志村の定理とは、別名「モジュラー定理」とも呼ばれており、「楕円曲線はすべてモジュラーである」という内容です。
とは言え、この時代はまだ「谷村ー志村の予想」として、「きっと成り立つだろう」という予想でしかありませんでした。
アンドリューワイルズは、谷村ー志村予想のうち、全ての楕円曲線ではなく、「半安定な楕円曲線はモジュラーである」という定理を証明しました。
つまり、谷村ー志村予想のうち、一部分の証明に成功したのでした。
この時に活用したのが「コリヴァギンーフラッハ法」と呼ばれる、コリヴァギンという数学の教授と、生徒のフラッハが編み出した、楕円関数とモジュラーの関係性を示した理論でした。
そしてワイルズは次々と楕円関数とモジュラーの関係性を解き明かし、たまたま目にしたバリーメイザーという数学者の論文を目にしたことで、最後のパズルがハマったのでした。
こうしてワイルズはついに「すべての半安定な楕円曲線はモジュラーである」ということを証明したのです。
そしてこの証明こそが、フェルマーの最終定理の解決へ至る最後のピースでした。
【Step5】対偶をとると、モジュラーではない半安定な楕円曲線は存在しない
高校数学でチラッと出てくる「対偶」という概念。
ザックリ解説します。
「AならばB」。これは数学ではよく扱われる論理形式です。
例えば、X=3 ならば 2X+2=8
みたいな簡単な理論も「AならばB」という形式になっています。
そして、対偶というのは、「AならばB」と「Bでないならば、Aでない」はそれぞれ同じで等しいということです。
「X=3 ならば 2X+2=8」の対偶は、「2X+2≠8 ならば X≠3」となり、これも成り立ちますよね。
このように、対偶というのは「AならばB」という論理形式を「BでないならばAでない」という論理形式で考えることです。
対偶は数学の証明において、たびたび登場する便利な性質で、これを使うことで証明の見通しが立つことが多いんですね。
この対偶はワイルズの定理でも鍵を握ります。
ワイルズはこの定理を証明しました。
「楕円曲線が半安定ならばモジュラーである」
この定理の対偶を取るといかになります。
「モジュラーでないならば、楕円曲線は半安定ではない」。
もっと言えば「モジュラーでないならば、半安定な楕円曲線は存在しない」という定理が導かれるのです。
【Step6】矛盾!
ワイルズの定理の対偶は「モジュラーでないならば、半安定な楕円曲線は存在しない」です。
しかし、思い出してください。
フライによって、フェルマーの最終定理が成り立たないと仮定すれば、ある楕円曲線が作られ、その楕円曲線はモジュラーでない半安定な楕円であることが導き出されました。
ここに矛盾が生じますね。
ワイルズはモジュラーでない、半安定な楕円曲線は存在しないと言っているのに、フライは、ある半安定な楕円曲線が存在してモジュラーであると言っているのですから。
完全に矛盾が生じているのです。
【Step7】フェルマーの最終定理は成り立つ
ではこの矛盾の根本原因は何でしょうか?
それは、そもそも「フェルマーの最終定理が成り立たない」と仮定したから起こった矛盾です。
ですので、正しい結論は、「フェルマーの最終定理は成り立つ」と導かれるのです。
こうして360年以上に渡って多くの数学者たちを苦しめてきたフェルマーの最終定理は解決されたのでした。
波乱万丈の証明までのアンドリューワイルズの道のり
ここまでフェルマーの最終定理が解決されるまでのプロセスをご紹介してきましたが、完全に証明されるまでには果てしなく遠い道のりがあり、アンドリューワイルズにとっては地獄の日々と言っても過言ではありません。
というのも、数学においては、
- 証明を論文で発表する
- 論文を査読してもらう
- 問題なければ、正式に認定
という更に3つのプロセスがあるからです。
しかも、この論文の査読やチェックには、数年単位の時間がかかることもザラです。
このようなプロセスもあり、フェルマーの最終定理の証明が完了するまでは一筋縄ではいきませんでした。
ほんのわずかな欠陥から広がる波紋
アンドリューワイルズが定理の証明を提出してから、数学界だけではなくさまざまなメディアまでもがワイルズの功績に注目し始めました。
300年以上も未解決だった数学の問題ですから、かなり注目を集めました。
今風に言えば、まさにバズでしょうか。
そんなワイルズの証明に注目が集まる中、論文が査読されていたのですから、さぞプレッシャーだったでしょうね〜苦笑
査読は専門の数学者たちが行っていました。
論文の途中で、ミスや書き間違い、あるいは査読班が不明だと感じた点はワイルズに疑問を投げかけてワイルズが回答するというやりとりが続いていました。
そんなやりとりの中に、1つ、ワイルズの証明の欠陥をクリティカルに指摘する内容があったのです。
その結果、なんとアンドリューワイルズは2年もの間、この理論の欠陥を埋めるために奮闘し続けたのでした。
噂が流れ始める
アンドリューワイルズは、フェルマーの最終定理を解決したと確信した時に、故郷のケンブリッジ大学で3日間にわたる講義をしました。
その講義は、まさにフェルマーの最終定理の証明でした。
過去、何度かフェルマーの最終定理が解決された!みたいな話題は出ていたのですが、今回のワイルズの主張には世界中の数学者たちが注目。
なんと有名な数学者たちがこぞって、大学の講義室に集まって聞いていたのです。
ワイルズは3日目の最後に「これで証明を終えたいと思います」と言葉を残して、拍手喝采・多くの賞賛を得ていました。
だからこそ、フェルマーの最終定理を解決したという話題はとても注目を浴びており、世界中を席巻するテーマでもありました。
その後に、見つかった論理の欠陥。
世界が注目するなか、フェルマーの最終定理がいよいよ暗礁に乗り上がっていたのです。
果たしてどうなるのか?!
灯台下暗し
アンドリューワイルズは、「もう限界かもしれない…」と感じていたそうです。
そんな若干諦めの気持ちが顔を出す中、開いた論文にたまたまワイルズが必要としていた論理が目に入ったのです。
それが「岩澤理論」というもの。
実は、アンドリューワイルズはフェルマーの最終定理を解決するまでに、いろんな理論を学習していました。
その中に、岩澤理論があったのですが、その時にはあまり必要性はなく、保留していたのですね。
その岩澤理論が最後のピースとしてカチリとハマったのです。
ワイルズは最初この出来事が信じられず、「いや、まさか!」と何度も自分を疑ったそうです笑
「夢じゃないかと思うような素晴らしい証明」が頭に浮かんだと述べています。
しかし、翌日、もう一度冷静に見直した結果、誤りがないことを確認し、徐々に現実であることを受け入れられるようになりました。
そして、ついに定理の欠陥を証明。
こうしてフェルマーの最終定理は正式に証明されたと認められ、アンドリューワイルズは特例の賞を受賞したのでした。
最後
今回は、フェルマーの最終定理はどう解決されたのか?をご紹介しました。
300年以上にわたる、壮大すぎる数学の物語、圧巻の一言でしたね。
ワイルズはフェルマーの最終定理を解決することを使命と考えていましたが、フェルマーの最終定理自体もワイルズに解決されたいのかな?と思うぐらいの、運命を感じざるを得ません。
ワイルズが初めて図書館でフェルマーの最終定理を見つけて以降、大学では楕円の道を進み、あらゆる世界の数学の知識が集まってくるなど、まるでワイルズがフェルマーの最終定理の解決に必要な知識が、すべては集約されたのはもはや複雑な運命が交差してきたような、そんな感じがします。
ちなみに、僕はこの物語を知った時は、「これが実話かよ!すごすぎだろ!」と興奮しましたね笑
この興奮が少しでも伝わったなら、嬉しく思います^^
最後まで読んでくださり、ありがとうございました!!
PS.近代数学と現代数学のアプローチの違い
近代数学、つまり1700年〜1800年代は、フェルマーの最終定理のnの値を具体的にしていくことを考えていました。
しかし1900年代の現代数学の時代は、フェルマーの最終定理から別分野の楕円、そしてモジュラーといろんな分野を転々としながら、証明するというアプローチの違いがあります。
このことから、時代が進むにつれて、数学が抽象化したと考えることができると感じます。