どうも、丸田です。
これまで2つの記事に渡って
- フェルマーの最終定理とは
- フェルマーの生涯
- 定理に挑んだ歴代の天才数学者たちの奮闘
- 数学業界に起こった激震
について解説してきました。


簡単におさらいしておきましょう。
“私はこの命題に対して、実に驚くべき証明を見つけたが、それを書くにはこの余白は狭すぎる”
──この一文とともに残された、数学者フェルマーの謎の定理。
そのあまりの難解さから、「フェルマーの最終定理」と呼ばれるようになり、以後300年以上にわたって、数学界最大の未解決問題として立ちはだかり続けます。
18世紀から19世紀にかけて、その時代を代表した、数々の天才たちが挑みました。

紆余曲折をへながら、なんとか爪痕を残すことは出来ましたが、決定的な証明には誰一人としてたどり着けませんでした。
そして時は流れ、20世紀。
数学の世界に新たな潮流が生まれはじめた頃──
ついに、1人の数学者アンドリューワイルズがこの難問に終止符を打つことになります。

300年以上も解決されず、誰も解決不可能とさえされていたフェルマーの最終定理をどのように解決するのか!?
今回は、フェルマーの最終定理を解決した数学者、アンドリューワイルズのこれまでと、「フェルマーの最終定理」が解かれるまでをご紹介します。
いよいよ!フェルマーの最終定理のフィナーレです!!
専門知識は不要!
現代数学の真髄を、とくとご覧ください!
想像の斜め上!異次元の解決法!!
フェルマーの最終定理の解決までの全体像をご紹介します。
なお専門用語が含まれますが、スルーでOKです。
成り立つことを示す手法の1つに「背理法」があります。
この背理法に従って、まずはフェルマーの最終定理が成り立たないと仮定していきます。
フェルマーの最終定理が成り立たないと仮定すると、そこからある楕円曲線が導き出されました。
これを発見したのが、数学者ゲルハルト・フライ。
このことから、この楕円曲線はフライ曲線と呼ばれます。
しかし、この楕円曲線には、なんとも摩訶不思議な性質がありました。
なんと天才日本人数学者2人が提唱した革新的な理論が生み出されました。
この理論とワイルズの努力の結晶によって生み出された理論では、このような摩訶不思議な性質を持つ楕円曲線は存在しないと、証明されます。
矛盾が示されたことで、最初の「成り立たない」という仮定が間違っていたことになります。
よって、フェルマーの最終定理が成り立つ!
チェックメイト!
というのが、フェルマーの最終定理解決までの流れとなります。
1つずつ具体的に見ていきましょう。
【Step1】フェルマーの最終定理が成り立たないと仮定する
まずはフェルマーの最終定理が成り立たないと仮定します。
フェルマーの最終定理は以下の内容でした。
自然数\(n\ge3\)において\(x^n+y^n=z^n\)を満たす自然数解\((x,y,z)\)は存在しない
よって、フェルマーの最終定理の主張を否定すると、以下のようになります。
ある\(n\ge3\)の自然数において\(x^n+y^n=z^n\)を満たす自然数解\((x,y,z)\)が少なくとも1つは存在する、となります。
ちなみに証明が困難な場合は、主張を否定して、のちに矛盾を生み出す「背理法」という数学的論証を用いることが多いです。
今回のフェルマーの最終定理も背理法によって解決されました。
背理法、最強です!笑
この背理法が目指すのは、ズバリ「矛盾」を見つけることです。
具体的に説明しますと、
- 定理が成り立たないと仮定する
- 論理を展開していく
- 途中で辻褄が合わない現象、すなわち矛盾が起こる。
- 矛盾の原因は、「成り立たない」という仮定そのもの
- 「定理が立たない」こと自体がおかしい。つまり成り立つ
このステップで定理を証明していくのです。
今回のフェルマーの最終定理の場合も同様です。
フェルマーの最終定理が成り立たないと仮定して、何かしら矛盾を導き出せたらクリアとなります。
【Step2】とある楕円曲線が導かれる
フェルマーの最終定理の解決において、ある数学者のアイデアが大きな転機となりました。
彼の名は、ゲルハルト・フライ。

1980年頃に、彼はある極めて斬新な仮説を打ち立てます。
それは「フェルマーの最終定理と楕円曲線は密接な関係がある」ということです。
冷静に考えてみて欲しいのですが、そもそもフェルマーの最終定理って、ザックリ言えば方程式の問題なんですよ。
一方の楕円曲線は、図形、幾何学の分野です。
これら2つの異なる分野が密接に関係するって不思議ではありませんか?
そして当時、このアイデアを提唱した人物は他におらず、この発見は数学界に大きな衝撃を与えました。
このフライのアイデアこそが、フェルマーの最終定理解決を一気に追い詰めることとなります。
さらには、フライは大胆な発表を行いました。
「谷山ー志村予想を証明できれば、フェルマーの最終定理を解決できる」と。
後ほどまた詳しく解説しますが、つまりは谷山ー志村予想を証明できることが、フェルマーの解決にダイレクトに導けるというのです。
このフライの主張によって、ついにフェルマーの最終定理の解決が目前に迫りました!
「いけるかもしれない…!」と数学者の誰もが感じたことでしょう。
さて、フライが提唱した仮説「フェルマーの最終定理と楕円曲線は密接な関係がある」は、決してデマカセではありません。
フライは、フェルマーの最終定理は成り立たないという仮定を認めることで、とある楕円曲線が導かれるということを示しました。
これをフライ曲線と言います。
しかし、「この曲線…どこかが変だ…」となるわけです。
【Step3】その楕円曲線には、摩訶不思議な性質があることが判明する

※ここから専門的な用語が出てきますが、無視してください笑
フェルマーの最終定理を否定して導き出された楕円曲線、フライ曲線には摩訶不思議な性質がありました。
それが「モジュラー性が成り立たない」ということです。
これは最初、ゲルハルトフライは予想をしたのですが、この主張をより強固にしたのがケン・リベットという数学者でした。

ケン・リベットは、「フライ曲線は、半安定な楕円曲線でモジュラーではない」ということを証明したのです。
この内容が、今後の矛盾を示すのに大きな貢献をしてくれます。
ここでモジュラーとか半安定とか出てきたので、ザックリ解説しておきます。
非常に難しい分野のため、詳細に触れることはできませんが、簡単に言えば、非常に規則的な性質を持っている──そんな関数たちです。
例えば、ある軸を中心にして回転したり、鏡に映したりなど、何かしら操作をしてもその形が変わらない、みたいなイメージです。
このモジュラーという分野は、19世紀に発見されたばかりの新しい学問で、対称性を追求するゆえに、これまでの数学的常識ではとても手に負えない、厄介な学問であるといわれています。
それゆえ、他分野との応用性が低いと言えるのです。
楕円曲線の中でも「振る舞いが良い=特に扱いやすい性質を持っている」ものを指します。
「そういうもんなんだ」と考えてもらえたらと思うのですが、楕円曲線を素数で割ったときに、どれだけ“ちゃんとした形”を保っているかを表す性質みたいなものです。
それは楕円曲線の式を用いた方程式の解の個数で決まります。
解の個数が3つあれば、安定、すなわち一番理想な形なんですね。
解の個数が2つ(2つの解が同じで、さらに別の1つの解が存在する)時は、半安定といい、少し乱れはあるけどまぁまぁ滑らかです。
解の個数が1つ(3つの解がすべて同じ)場合は安定ではない状態で、もはや楕円曲線とは言えない状態になる
という、雰囲気こんな感じでOKです。
つまりは、フライ曲線の摩訶不思議な性質「フライ曲線は、半安定な楕円曲線はモジュラーである」というのは、
ざっくり言えば、楕円曲線ではあるのですが、規則性がないのに、形はまぁまぁ滑らかということです。
まぁ…よく分かりませんよね?苦笑い
そう!まさに、このよくわからない性質こそがフライ曲線の最大の特徴なのです。
「まじめでいい子だけど、なぜか生活習慣がハチャメチャ」みたいな印象です。
いわば、楕円曲線の亜種!なんですね〜!
「でも、こんなよくわからん性質の曲線なんてあるのか?」
そう!少し結論を急ぎますが、結果的にこのフライ曲線は存在しないと示されます。
その大貢献をしたのが、予想外の数学者なのです。
【Step4】日本人数学者の革新的な理論が爆誕!
ここで重要な鍵を握るのは──
イギリスとは遠く離れた地。日本。

なんとフェルマーの解決をさらに大きく前進させたのは、
日本人数学者である、谷山豊(たにやまとよ)と志村五郎(しむらごろう)でした。

2人の天才が生み出した理論の名は「谷山ー志村の予想」
そのままやないかい!と思うでしょうが、この理論はあまりにも先駆的すぎて誰も理解が及んでいなかったのです。
その内容とは
「楕円曲線はすべてモジュラーである」
これの何がすごいのかというと、
全く別分野だと思われていた楕円曲線と、モジュラーという2つの分野は、実は全く同じ、一致しているのではないか、という理論でした。
ただここからが難関でもあります。
というのも「谷山ー志村の予想」は、その名の通り、「定理」ではなく「予想」なんです。
この予想というのは、この段階ではまだ「成り立つだろう」という確信に近い予想にすぎません。
つまり、数学的に完全に証明されているわけではないのですね。

誰も理解が追いついていないのだから、証明されていないのはある意味当たり前でもあります。
とは言え、この「谷山ー志村の予想」によって、フェルマーの最終定理が解決がいよいよ目の前にまで迫ったのです。
谷山ー志村予想を証明すれば、フェルマーの最終定理が解決される。
これはリベットが示したことですが、谷山ー志村の予想さえ証明できれば、【矛盾】が導き出せるということを意味します。(また後ほど詳しく解説します)
これから長い時間をかけて、アンドリューワイルズは「谷山ー志村の予想」を証明すべく、楕円曲線とモジュラーの対応関係を証明していくことになります。
無限に存在する楕円曲線とモジュラーの対応性をどのようにチェックしていけば良いのか?
この突破口となるのが、
- ガロア理論
- 数学的帰納法
- コリヴァギンーフラッハ法
この3つの理論を巧みに活用することで、ワイルズはドンドン証明を進めて行ったのでした。
ここでも登場したキーワード「ガロア理論」と「数学的帰納法」、そして「コリヴァギンーフラッハ法」の詳細は省きまずが、ざっくり説明します。
方程式が解けるかどうかを、対称性で見抜く数学理論。
19世紀、愛と革命と数学に全てを捧げた若き数学者エヴァリスト・ガロアが編み出した理論のため、「ガロア理論」と名前がつけられた。


自然数における無限の証明によく活用される”数学的帰納法”。
最初が成り立ち、次に続けば、全部成り立つという証明法
いわゆるドミノ倒しで全てが成り立つという証明方法です。
コリヴァギンという数学の教授と、生徒のフラッハが編み出した理論。
楕円曲線とモジュラー形式の深い関係をつなぐ数学的手法です。
そして、ついにワイルズは、「谷山ー志村予想」の、一部を証明しました。
一部とはどういうことかというと。
谷山ー志村予想は、「すべての楕円曲線はモジュラーである」という内容に対して、ワイルズは、楕円曲線の中の一部である「”半安定”の楕円曲線はモジュラーである」ということを証明したのでした。
谷山ー志村予想のすべてを証明するには至りませんでした。
しかし、ワイルズが証明した「すべての半安定な楕円曲線はモジュラーである」ということこそが、フェルマーの最終定理解決に王手をかけたのでした。
【Step5】矛盾。よって背理法により、フェルマーの最終定理は成り立つ。
ここまでを少し復習しましょう。
証明手法は「背理法」でした。
背理法とは、証明したい定理が成り立たないと仮定して、矛盾を導くことで証明が完成する手法です。
フェルマーの最終定理が成り立たないと仮定した場合、
すなわち、解が存在すると考えた場合に、ゲルハルトフライによってフライ曲線が誕生しました。
そして、このフライ曲線は「半安定であり、モジュラーではない楕円曲線」であるとわかったのです。
そして、今回ワイルズが証明した「すべての半安定な楕円曲線はモジュラーである」
「半安定であり、モジュラーではない楕円曲線」と「すべての半安定な楕円曲線はモジュラーである」は完全なる矛盾を引き起こしていますね。
なぜなら、【すべての半安定な楕円曲線は例外なく、モジュラーである】、というワイルズの主張に対して、【半安定にもかかわらず、モジュラーではない】というフライ曲線が存在するのですから。
じゃあ、この矛盾を引き起こした原因は一体何なのか?
フライもワイルズも、両者とも完全なる数学理論の元導き出した結論です。
二人のうちどちらかが間違っている、というわけではありませんよ笑
原因はただ一つ。
そもそもの仮定。
すなわち、フェルマーの最終定理が成り立たないという仮定が間違っていたとなります。
よって、導き出される結論は、
フェルマーの最終定理は成り立つ。
です。
こうして360年以上に渡って、多くの数学者たちを苦しめてきたフェルマーの最終定理は解決されたのでした。
しかし、まだ終わっていなかったァッ!
ちなみに、このフェルマーの最終定理解決までのプロセスは、実際にイギリスのケンブリッジのニュートン研究所にて、ワイルズが3日間に渡る講演を行いました。
その出席者は世界の名だたる数学者も出席しておりまして、3日目には、教室には収まらないぐらいの聴衆で溢れかえっていたと言われています。
ワイルズは最後「これで証明を終わりにしたいと思います」といい、教室中が拍手喝采に見舞われたのでした。
こうして360年に渡る、フェルマーの最終定理に決着がついたか、に思われました。
しかし、ここからが非常に苦しい道のりになりました。
”完全に証明された”と認められるまでには、果てしなく遠い道のりがあり、アンドリューワイルズにとっては地獄の日々と言っても過言ではありません。
というのも、数学においては、
- 証明を論文で発表する
- 論文を査読してもらう
- 問題なければ、正式に認定
という更に3つのプロセスがあるからです。
しかも、この論文の査読やチェックには、数年単位の時間がかかることもザラです。
このようなプロセスもあり、フェルマーの最終定理の証明が完了するまでは一筋縄ではいきませんでした。
ほんのわずかな欠陥から広がる波紋
アンドリューワイルズが定理の証明を提出してから、数学界だけではなくさまざまなメディアまでもがワイルズの功績に注目し始めました。
300年以上も未解決だった数学の問題ですから、かなり注目を集めました。
今風に言えば、まさにバズったってやつです。
そんなワイルズの証明に注目が集まる中、論文が査読されていたのですから、さぞプレッシャーだったでしょうね〜苦笑
査読は専門の数学者たちが行っていました。
論文の途中で、ミスや書き間違い、あるいは査読班が不明だと感じた点はワイルズに疑問を投げかけてワイルズが回答するというやりとりが続いていました。
そんなやりとりの中に、1つ、ワイルズの証明の欠陥をクリティカルに指摘する内容があったのです。
その結果、なんとアンドリューワイルズは2年もの間、この理論の欠陥を埋めるために奮闘し続けたのでした。
噂が流れ始める
アンドリューワイルズは、数学業界全体が注目する中、フェルマーの最終定理の解決を宣言していました。
つまり、今回のワイルズの主張には世界中の数学者たちが注目していたのです。
その中で、見つかった論理の欠陥。
世界が注目するなか、フェルマーの最終定理がいよいよ暗礁に乗り上がっていたのです。
果たしてどうなるのか?!
灯台下暗し
この欠陥を修復すべく、さらにワイルズは1年以上もの歳月を費やしましたが、糸口が見えず。
もう諦めてしまおうか…と、絶望の淵に立たされた時、たまたま目にした論文で発見した定理に注目しました。
それが「岩澤理論」というもの。
岩澤理論とは、岩澤健吉という日本人数学者が提唱した理論です。
実は、アンドリューワイルズはフェルマーの最終定理を解決するまでに、いろんな理論を学習していました。
その中に、岩澤理論があったのですが、その時にはあまり必要性はなく、保留していたのですね。
その岩澤理論が最後のピースとしてカチリとハマったのです。
ワイルズは最初この出来事が信じられず、「いや、まさか!」と何度も自分を疑ったそうです笑
しかし、翌日、もう一度冷静に見直した結果、誤りがないことを確認し、徐々に現実であることを受け入れられるようになりました。
そして、ついに定理の欠陥を証明。
こうしてフェルマーの最終定理は正式に証明されたと認められ、アンドリューワイルズは特例の賞を受賞したのでした。
最後
今回は、3本の記事に渡って、フェルマーの最終定理はどう解決されたのか?をご紹介しました。
300年以上にわたる、壮大すぎる数学の物語、圧巻の一言でしたね。
ワイルズはフェルマーの最終定理を解決することを使命と考えていましたが、フェルマーの最終定理自体もワイルズに解決されたいのかな?と思うぐらいの、運命を感じざるを得ませんよね。
ワイルズが10歳のとき、図書館で偶然出会ったフェルマーの最終定理。
この出来事が彼の心を捉え、人生の方向を決定づけました。
大学では、恩師の助言により「楕円曲線」という分野を選びましたが、一見関係ないと思われた、この選択こそがフェルマーの証明に直結する鍵となっていきます。
さらに、その後の研究では、楕円曲線、モジュラー形式、ガロア理論、数論、谷山ー志村予想、そして世界中、そして過去の歴代数学者たちの成果が、まるで一本の道に導かれるように、彼のもとへと集まってきたのです。
それはまるで、
フェルマーの最終定理を証明するための“壮大な伏線”が、360年という長い時を超えて回収されていく物語のようにも感じられるのではないでしょうか。
ちなみに、僕はこの物語を知った時は、「これが実話かよ!すごすぎだろ!」と興奮しましたね笑
この興奮が少しでも伝わったなら、嬉しく思います^^
最後、少しだけ私自身が感じたことを述べますと、
1700年〜1800年代の数学者たちは、フェルマーの最終定理に対して、たとえば「n=3」「n=4」など、具体的な数字を当てはめて一つずつ証明していくというアプローチをとっていました。
いわば、問題そのものを真っ直ぐに掘り下げていくという手法です。
一方で、20世紀の数学者たちが取ったアプローチは、全く異なるものでした。
フェルマーの最終定理から一見かけ離れた「楕円曲線」や「モジュラー形式」へと視点を移し、数学のまったく別の分野をまたいで、証明への道を切り開いていったのです。
こうして見てみると、古典数学は「目の前の問題に直線的に挑む」姿勢が中心だったのに対し、現代数学は「抽象化された理論を横断的に使いこなす」世界へと進化していることがわかります。
このことから、時代が進むにつれて、数学がいろんな分野を統合しながらも、抽象化してきたと考えることができると感じます。
このまま数学が抽象化し続けて行った先には、もしかしたら宇宙の神秘、いやこの世界の仕組みそのものの解明にもつながるのかも知れませんね…。
人類の叡智は、まだまだこれからも進化し続けていく。
そんな希望とともに、今回の記事はここで終わりにしたいと思います。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました!