どうも、マルタです。
今回は数学者・哲学者・天文学者のヒュパティアについてご紹介します。
ヒュパティアは他の数学者に比べると知名度は低いと思います。
しかし、史実で確認できる限り、一番最初の女性数学・哲学・天文学者であり、その生き様は非常に凛々しいものです。
ヒュパティアはアレクサンドリアの数学者・哲学者で、数学や天文学の分野での業績のみならず、歴史においても大きな影響力を与えた人物です。
当時のアレクサンドリアは、ゴリゴリの男性社会。
女性は結婚することが当たり前で、結婚すれば家庭に専念するという時代でした。

そもそも女性が社会で活躍することを良しとしない時代でもありました。
そんな時代の中、男性顔負けの活躍をしたヒュパティア。
アレクサンドリアの図書館で教鞭を執ったり、幾何学や天文学に関して、情熱的に研究しました。
数学・天文学を研究しながら、時代と戦った初の女性科学者。
果たして、どんな生涯を送ったのでしょうか。
この記事では、ヒュパティアの生涯と業績をご紹介します。
ヒュパティアの生涯
ヒュパティアの生涯に迫ってまいります。
数学・哲学・天文学の英才教育を受け、天文学の道へ
舞台は、西暦355年頃。
ヒュパティアは哲学者・数学者のテオンとその妻の娘として、アレキサンドリアに生まれました。



アレクサンドリアは世界的に大繁栄したエジプトの都市です。
哲学者・数学者のテオンは、その時代における代表的な賢者の一人でした。
そんな偉大な父を持つヒュパティア、もちろん父の才を受け継いでいました。
父テオンの教育を受け、さらに著述や講義を手伝っていく中で、やがてアレクサンドリア随一の哲学生になったのでした。
ちなみに、ヒュパティアの母については史実がありませんが、哲学者・数学者テオンと結婚するということは、おそらく社会的地位、身分は高かったと思われます。
知識人に囲まれた環境で、ヒュパティアは育ったのでした。
アレクサンドリア図書館の学長として、哲学教室の教鞭をとる
当時のアレクサンドリアは、世界的にも知識の中心地として大繁栄していました。
プトレマイオス朝エジプトの首都ともなり、100万人を超える古代最大級の都市でした。
※ちなみに、アルキメデスが敬愛する友人コノン、あるいはエラトステネスもこの地で学んだと言われております。
その中でも最も有名なのがアレクサンドリア図書館。
およそ70万冊もの書物が保管されていたと言われています。(当時は、パピルス文章という形式で保存されていました)


アレキサンドリアは、そのアレクサンドリア図書館の学長を務めます。(当時ヒュパティアは30歳ぐらい)
さらにそれだけでなく、多くの若い男性に哲学を教える先生としても活動していたのですね。
ヒュパティアは30歳にして、知識人として人気でした。
神を探求する哲学、その哲学に奉仕する数学、天文学への思想、その美徳が宗派を超えて多くの人々に支持され、市民にとても愛されていたのですね。



男性社会において、女性が活躍するのはとても素晴らしいと感じます。しかも美人で人気者。
しかし一部の界隈からは目の敵とされていました。
宗教対立が激しくなり、アレクサンドリア図書館が破壊される
輝かしい栄華を誇っていたアレクサンドリアでしたが、徐々にキリスト教とユダヤ教の対立が激しくなりました。
そして、ついに争いが始まってしまいました。
エジプトを統括する東ローマ帝国の皇帝テオドシウス一世は、エジプトにおける非キリスト教の宗教施設や神殿の破壊を許可。
その結果、さまざまな施設や神殿、さらにはアレクサンドリア図書館までも破壊されてしまったのです。



もしアレクサンドリア図書館が破壊されなければ、現代の技術はどれだけ進化していたのだろうか?という声もあります。
ヒュパティアの最後


新プラトン主義哲学の学校長となり、数多くの若者(男)にプラトンやアリストテレスの哲学の講義を行い、多くの人から厚い信頼を得て、政治や時代にも屈しなかったヒュパティア。
ですが、最後の時が訪れます。
ヒュパティアの才能、そして強気の姿勢は、一部の反対勢力の憎しみを買ってしまいました。
そして、彼女の言葉は神への冒涜とみなされてしまったのでした。
「考える権利を保有してください。誤った考えでも、何も考えないよりは、はるかに価値があります」
「迷信を真実として教えるのは恐ろしい」
など、彼女の教える哲学は神秘主義を排した科学的なモノであったが故、このような言葉の数々が、狂信的なキリスト教の怒りを爆発させることになったと思われます。
ヒュパティアはキリスト教徒たちに拉致され、そして悲惨な最後を迎えたのでした。
破壊されるアレクサンドリア図書館。ヨーロッパ全土を覆う暗黒時代
ヒュパティアの死とアレクサンドリア図書館の崩壊。
この出来事によって、ヨーロッパ全土は暗黒時代に突入します。
アレクサンドリア図書館に貯蔵されていた書物も全て無くなり、未来へ引き継ぐ叡智の大半が消失。
この歴史から考察するに、いかにヒュパティアが知の象徴だったかがわかりますね。
ヒュパティアの業績
ヒュパティアはどのような業績や活躍をしたのでしょうか。
ヒュパティアの業績を3つご紹介していきます。
【業績1】ディオファントスの「算術」、アポロニウスの「円錐曲線論」などの科学書に多くの注釈を付け足した
ヒュパティアの業績の1つは、科学書に注釈を付けたことです。
難しい書物に分かりやすい説明を付け足し、なるべく多くの人にも親しめるように努めたわけですね。
代表的なものは、ディオファントスの「算術」、アポロニウスの「円錐曲線論」に注釈を付け加えたと言われております。
この当時、そもそも専門的な科学への知識を深めた人が少なかったわけですが、そのような専門書に解説をつけるということは、いかにヒュパティアが科学への理解が深かったかを物語っています。
ディオファントスの「算術」とは、数の性質や関係性を研究した著作です。
またアポロニウスは、円に関する幾何学的な性質を研究していた数学者の一人です。
ちなみに、ヒュパティアは水の純度を測定する「ハイドロスコープ」や、古代天体観測器「アストロラーべ」にも造詣が深かったほどの知性の持ち主でした。
ヒュパティアは天体の動きを研究していたこともあり、アポロニウスの研究に非常に興味を抱いていたのですね。
【業績2】新プラトン主義の教えを説いていった女性教育者
ヒュパティアは数学・天文学だけでなく、哲学にも精通していました。
特に彼女は新プラトン主義を信仰していました。
新プラトン主義とは、簡単にいえば、プラトンのイデア論に様々なアイデアが組み合わさって作られた新たな哲学です。
プロティノスが3世紀頃に新プラトン主義を提唱したのですが、この哲学をヒュパティアも信仰していたのです。
そして、それを多くの人に教え説いていったのでした。
「考える権利を保有してください。誤った考えでも、何も考えないよりは、はるかに価値があります」はヒュパティアの有名な言葉です。



周囲の人にもしっかりと教えていったことから、知恵の重要さを理解していた稀有な人物でしょう。
【業績3】権力にも屈することなく、男性社会を強く生き抜いた
なんと言っても、一番の業績はヒュパティアの生き方そのものだと思います。
当時、男性社会だった時代に活躍した女性でした。
また権力によってキリスト教への改心を迫られた彼女ですが、それでも屈することなく、政治家や権力者にもしっかり発言をしていたそうです。
きっとその時代であれば、「女のくせに、なんて生意気なんだ!ありえねー!」ぐらいの風当たりの強さだったと思います。
ですが、それでも立ち向かったヒュパティア、どこか侍魂を感じざるをえません。
その証拠に、多くの人たちが彼女を敬い、そして慕っていたことからいかに彼女が人を惹きつける賢者であったかが容易に想像できますね。
彼女の生き様は現代におけるジェンダー問題にも通じることもあり、非常に重要視されています。
また彼女の没により、アレキサンドリアの教会の腐敗が明らかになったこと。
そして、ギリシア的理性の終焉、宗教的原理主義の萌芽の象徴とされています。
つまりは、彼女の活躍がアレクサンドリアの知の文化を支えていたということです。
ヒュパティアに関する参考文献
ヒュパティアは自身の自伝や書物をあまり残していないので、情報が少ないのが正直なところです。
しかし、幅広くヒュパティアを扱う文献があるので、ご紹介します。
書籍:ヒュパティア:後期ローマ帝国の女性知識人
こちらはヒュパティアの人生を描いた書籍です。
もしヒュパティアに興味があれば、ぜひ読んでみてください。
映画:アレクサンドリア
また映画「アレクサンドリア(原題:agora)」はヒュパティアをテーマにした映画です。
彼女が生きた時代のアレクサンドリアが舞台になっています。
少し脚色はあるかもしれませんが、彼女の生涯や業績について理解を深めるに非常に適した文献だと思います。
ヒュパティアの生涯・業績のまとめ
今回は、古代エジプトの数学者・哲学者・天文学者のヒュパティアについてご紹介しました。
ヒュパティアはおそらく日本ではあまり知られていない人物かもしれませんが、間違いなく歴史を動かした人物でしょう。
世界で初めての科学者として残した業績や世に与えた影響力は大きなものです。
彼女の生き方は、僕らにも生かしていきたいですね。
では、ヒュパティアの解説を終わります。