どうも、丸田です。
今回は数学界のキング!ガウスの生い立ちと業績をご紹介します。
ガウスはオイラーと並ぶ大数学者として知られています。
それほどまでにガウスが数学界に与えた影響力はデカいということです。
ガウスの名前が当てられた定理は数多くあり。
ガウス記号、ガウス平面、などなど…。
ではそんな数学の王者ガウスはどんな人生を送ったのでしょうか?そして、どんな発見をこの世に残したのでしょうか?
その王者の人生へ迫って参りましょう。
ガウスの略歴
本名はカール・フリードリヒ・ガウス。ドイツの数学者です。
解析学、確率論、トポロジー、数論、幾何学など数多くの分野に影響を与えました。
意外と過酷な幼少期
1777年。ガウスはドイツのブラウンシュワイクで生まれました。
ガウスの家庭はレンガ職人や庭師と、数学とは程遠い家庭でした。
その影響もあって、ガウスの親はガウスをレンガ職人にしようと心に決めていたそうです。
ですので、父親はガウス含む自分たちの子供たちに容赦無く、大変な労働をさせていたのです。
数学のすの字もない環境です。
しかし、ガウスの才能はかくしきれません。
なんとガウスは2歳の時から異常に高い知能を発揮していました。
頭良すぎて逆に心配したガウスの母親は、専門家にガウスの発達を見てほしいと何度も頼んでいたほどでした。
その知能の高さは、父親が大工の給料を計算するにおかした計算間違いを指摘できるレベルだったのです。
ガウスの母の弟フリードリヒ・ベンツはガウスのズバ抜けた天才性を見抜き、ガウスを学問の世界へ導いたのでした。
超人的な小学生時代
ガウスは学生の頃には、さらに超人的な才能を発揮します。
そもそもガウスは学校に通い始める前から、すでに独学で読み方を身につけ、大人が数を書いているのを見て、論理的推論によって四則演算の意味と規則を理解したのです。
スタートダッシュが違いすぎる。
その中でもガウスの人生を大きく変えたのは、ガウスが7歳の頃でした。
当時、ガウスが通っている学校の算数の
先生は厳しかったそうです。
その先生は「1+2+3…+100」の1から100までを足したらどうなるか?という問題を出しました。
みんなが順番に計算していく中、ガウスは一瞬で計算し終わり、答えてしまったのです。
その先生はガウスの才能を見て、ニッコリ。
ガウスにいろんな本を読み与えたそうです。
そして、先生は「あの子は私を超えている。もう何も教えることはない」と言いました。
のちに、その算数の先生の助手だったヨハンマルティン・バルテルスはガウスの親友になり、2人は生涯を通して数学の研究をする仲間となったのでした。
学問に励む青年時代
ガウスの才能は成長と共に磨きがかかっていきます。
そのガウスの才能を最大に発揮させたいと考えたのが、ブルンスィック公爵という人物でした。
なんと公爵はガウスの学費を全額負担することを提案しました。
これにより、ガウスは15才でコレギウムカロリヌムという学校に入学。卒業後は学生レベルをはるかに超えていたため、独学で数学を学習していました。
そして22歳の時、ヘルステッド大学で博士論文を書き上げました。
1795年ガウスは卒業。引き続き公爵の支援によって、ゲッティンゲン大学での勉強を続けました。
ガウスは大学に入るタイミングですでにさまざまな理論を発見、構築していったのでした。
途中、進路を迷ったりもしていましたが、結局が数学を選択。
1796年から1814年にわたって日記を書き続けました。
日記は19ページだが、その中に楕円間数論、解析学、など数学のいくつもの分野で導いいた146もの定理を発見していた
ガウスは「算術の研究」という本を書き上げるが、それは傑作となった。
さらにキャリアアップ!
1805年にブルンスィック出身の若い女性ヨハンなと結婚しました。
さらに再婚した。
3人の子供に恵まれた
子供のうち1人は農場主。1人は裕福な商人になった
1807年にガウスはゲッティンゲン天文台の台長となり、数学の教育と研究を続けられるようになりました。
ただ裏話として、ガウスはこの時期の環境に関して少し不満を感じていたそうです。
こうして晩年までに、様々な数学者へ影響を与え続けたのでした。
ちなみに、ドイツ人数学者ディリクレはガウスに多大なる影響を受けており、フランス人数学者のラグランジュ、ラプラスもガウスを熱烈に支持していたそうです。
以上がガウスの生涯となります。
ガウスの業績について
数学のキング、ガウスはどんな業績を残したのでしょうか?
ここからはガウスの業績の一部をご紹介します。
寝起きで数百年解決できなかった難問を解決する
ガウスはある日ふと目覚めた瞬間に、閃きました。
「これだ!」と感じ、そこで証明したのです。
それが「正十七角形の作図が可能である」という定理でした。
はい、、まぁ普段僕らが考えないことではありますが笑
この図形をコンパスと定規を使って作図できるかどうか?という問題は、実は古代から存在していました。
過去いろんな図形に関する作図が解かれてきましたが、「正十七角形は作図できるか?」という問いは数百年の間、未解決だったのですね。
それをなんと寝起きで解決してしまうというとんでもない偉業を果たします。
方程式の解の個数に関する法則を発見
僕らが学生時代に解いてきた数々の方程式。
それらには実は解の個数が決まっているということをガウスは解き明かしたのです。
とはいえこれはシンプルです。
n次方程式にはn個の解が存在するという内容です。
これを代数学の基本定理と言います。
こうして方程式に関する深い洞察が得られる定理を発見したのですね。
方程式に関しては、こちらの記事も参考にしてください。
非ユークリッド幾何学の発展
非ユークリッド幾何学とは簡単に言えば、我々の直感からは外れた図形です。
元々、紀元前300年頃の数学者ユークリッドが幾何学に関する
一番分かりやすいのは、三角形の内角の和は180度にならないという。
ボーヤイという数学者との共同研究によって、
虚数をグラフにして、理論発展
当時、虚数という概念が数学に取り入れていましたが、まだ共通に認められている概念ではありませんでした。
だからこそ、「虚数を認める派」と「虚数は認めない派」が存在していました。
つまりは虚数はまだ存在するかしないかの瀬戸際みたいな、そんな数字だったのですね。
そこでガウスはとんでもない発明をしました。
それが虚数のグラフ化に成功してしまったのです。
こうして、少しずつ虚数は数学の世界に認められるようになっていきました。
そしてガウスは虚数含む数字を「複素数」という名前が名付けられました。
ガウスはグラフという虚数の見える化によって、虚数を数学の概念に認めさせたのですね。
正規分布を発見!統計学にも貢献した
統計学において最も有名なのが、正規分布。
この正規分布を発見したのがガウスなのですね。
この正規分布は統計学を学ぶなら必ずと言っていいほど目にする法則です。
この正規分布は、例えばテストの点数、サイコロの出目の合計数、雨粒の大きさなども統計データをとると正規分布の形に沿っているのです。
現代の統計学の基礎をささせる定理を発見したガウス。
まさに数学のキングですよね。
ガウスの生涯と実績のまとめ
今回は数学の王者ガウスをご紹介しました。
ガウスは数学の発見だけでなく、数学の文化や歴史すらも塗り替えるほどの大偉業を残したまさにキングに相応しい人物なのです。
彼は他にも素数の性質や電磁気学、さらには天文学など他分野でも業績を残しています。
彼の残したものを全て理解するのは、もしかしたら一生かかっても不可能かもしれません。
それほどまでにガウスが数学に残した爪痕は計り知れないのです。
彼の生涯や研究を記した本は数多くありますので、もしよければ読んでみてください。
参考書籍
PS.秘密主義で慎重的すぎるガウス
ガウスは実はかなり秘密主義だったそうで、自分の定理をあまり公表しなかったそうです。
これに関しては、慎重すぎる性格とか、完璧主義だったとか、そもそも定理を発表することに興味がなかったなどと考察されております。