どうも、丸田です。
今回は哲学者プラトンについて解説します。
彼は哲学者として非常に有名ですが、数学にも精通しております。
「神は常に幾何学する」とはプラトンの有名な言葉です。
プラトンは三平方の定理を証明したピタゴラスの業績を引き継ぎ、数学と哲学を絡めた理論を提唱します。
その中でも特に有名なのが、世界的に影響を与えた「イデア論」です。
今回はプラトンの一生や数学・哲学の業績について解説していきます。
生い立ち・生涯
舞台は紀元前427年頃。プラトンはギリシャのアテナイで生まれました。
(※アテナイ最後の王コドロスの血を引く王族として生まれます。)
プラトンは政治家を目指す青年でしたが、ソクラテスと出会うことで哲学を本格的に学び始めました。
ソクラテスとは、「ソクラテスの弁明」で有名は偉大な哲学者です
ところが事件が起こります。
プラトンが28歳の時、ソクラテスが不当な裁判で処刑されてしまったのです。
この出来事を機に、プラトンは腐敗した政治に縁を切り、政治家への道は進みませんでした。
政治なんてクソだ!
プラトンはソクラテスの一番弟子として有名でした。
その結果、ソクラテス亡き状況にて、今度は政治の魔の手がプラトンに忍び寄ることになります。
その魔の手から逃れるべく、プラトンは諸外国へ哲学の研究の旅に出るのでした。
10数年という長い間、プラトンは多くの哲学者や数学者と交わりを結んで哲学の研究に励みました。
その道中、プラトンがイタリアへ行った際にピタゴラス学派の人々とも交流し、数学(主に幾何学)への理解を深めます。
※ピタゴラスに関する記事は下のリンクからご覧いただけます。
【関連記事】三平方の定理を証明した数学者ピタゴラスの波乱万丈な生涯
研究を終え、故郷にかえったプラトンはアカデメイアという学校を開きました。(※Academyの語源)
このアカデメイアが非常に優秀な学校で、なんと900年も学びの場として開校していました。
アカデメイアはギリシャの知の中心地として、近郊だけでなく遠い国の人々が訪れており、人々の知恵に大きな影響を与えたと言われています。
ちなみに、かの有名なアリストテレスもプラトンの弟子として、アカデメイアで学んでいたそうです。
とはいえ、このアカデメイアは入学条件が難しく、「幾何学を知らないものは入学を許さない」とされていたそうです。
幾何学は難しく、アレイサンダー大王の後継者プトレマイオス一世ですらも「難しい!」と唸ったそうです。
アカデメイアを開いた後、プラトンは自身の思想をまとめた書籍を出版したりと執筆活動に勤しみました。
紀元前347年、80歳でこの世を去りますが、その時まで「美」や「善」とは何か?理想の国にするには、何が必要なのか?を深く考え続けたと言われています。
プラトンが最も重要視したイデア論とは?
プラトンといえば「イデア論」です。
彼の唱えたイデア論とは何か?またなぜイデア論を唱えたのか?を深堀していきます。
イデア論とは何か?
プラトンは、世の中の全ての物事には「完全の形」があると考えました。
三角形に関する話が有名です。
例えば、あなたが定規を使って綺麗な三角形を描いたとしましょう。
ふむ、美しい!
と思うかもしれませんが、線の部分を超アップにして見てみると、、、
なんとギザギザしているではありませんか。
どれだけ頑張っても、このギザギザは無くなりません。
つまり見る角度や視点を変えると、形が変わっていると言えます。
「我々は完璧な三角形を知らない」。
すなわち、「完璧な三角形は人間には描けないし、そもそも自然界には存在しない」とプラトンは考えたのです。
しかし!!
「三角形を頭に思い浮かべてください」と言われると、「三角形」を思い浮かべることができますよね。
なぜなのか?それは三角形らしさを知っているからだ、とプラトンは考えました。
この三角形らしさは、三角形をドアップして線がギザギザになっても三角形の特徴を保ち続けます。
つまり、自然界にはないどこかには「完全な三角形」が存在すると結論づけました。
だからこそ、三角形を思い浮かべることができるわけです。
この完全な形を「イデア」と名付けました。
ちなみに、このイデア(完全な形)は石や花、木、犬などの物質、生命、そして「正義」や「善」、「美」など概念にも存在するとプラトンは考えました。
さらにプラトンはこのイデアの考えを発展させ、イデアだけでできた世界があると考えました。
これを「イデア界」といいます。
全てにおいて完全な形・世界が存在し、それに向かって人類が向かっていくことで、完全なる知の理解、そして幸福につながると考えたのですね。
【考察】なぜイデアを重要視したのか?
プラトンはこのイデアをとても大切な思想として考えていました。
ではなぜ、この思想を重要としていたのか。
それはプラトンの生きた時代背景にあると考えられます。
最初は政治家を目指していたプラトンでしたが、ソクラテスの死で政治の腐敗を目の当たりにします。
プラトンが世界中を巡ったのも、危機から逃れるためなので決してポジティブな理由ではありません。
ソクラテスの弟子だったからこそ、政府からは危険因子とされてしまいます。
「このままだと俺の身もヤバいかもしれん」と感じたプラトンは、その危険から逃れるべく世界を旅したという経緯があるのですね。
それから旅先で何度も危険な状況に置かれながらも、なんとか生き抜くプラトン。
そんな中、生まれたのが「イデア論」だったのです。
ちなみに、プラトンはイデアの中でも「善」のイデアが最上位だと考えていました。
そしてプラトンは、国を統治する者は哲人という、いわば真理・知恵を追求し、理想的な知識人であるべきだと考えたのです。
つまりは、権力に溺れるヤツは国を統治するべきではないというわけです。
このような背景から、プラトンはイデア論を重視していたと考えられます。
プラトンの業績
プラトンは数学・哲学において非常に大きな業績を残しています。
いくつか事例をご紹介します。
幾何学への追及
プラトンは哲学者でありながら、数学にも精通しており「数や幾何学的図形の中には、宇宙の真理を表す意味が隠されている」と考えていました。
プラトンは「神は常に幾何学にする」と言葉を残しています。
その中でも特に有名なのは「プラトンの立体」という研究です。
宇宙の真理が含まれているであろうと考えたことにより、別名「宇宙立体」とも呼ばれています。
プラトン立体とは
プラトン立体には正式には「正多面体」と呼ばれるのですが、以下の2つのルールがあります。
- 各面がすべて同じ正多角形であり、
- 各頂点において出会う正多角形の個数が等しい、という条件を満たす立体のこと
超ざっっっっくりいえば、超美しい法則を持った図形ということです(専門家から怒られそうw)
すなわち、この美しさが宇宙や神が宿るのでは?という思想に紐づいているわけですね。
ちなみに、この正多面体は5つしかありません。
- 正四面体
- 正六面体
- 正八面体
- 正十二面体
- 正二十面体
が存在します。
プラトンはこれらの図形それぞれに対応する元素や宇宙の要素があると考えました。
このような幾何学をイデア論に導入しました。
つまりは、哲学と数学の融合です。
この考え方は後の数学の発展にも影響を与えたと言われています。
西洋哲学に影響を与えた数々の作品を生み出す
18世紀の哲学者ホワイトヘッドは、こう言いました。
「西洋のすべての哲学は、プラトン哲学への脚注に過ぎない」
それほどまでに、プラトンの哲学は西洋哲学に多大なる影響を与えているのですね。
プラトンが残した作品のテーマは多岐に渡り、イデア論や政治学、法学、数学、幾何学、天文学、自然学など様々な分野の作品を残しています。
特に有名なのが、社会主義・国家主義の起源「国家」、ソクラテスについて記した「ソクラテスの弁明」でしょうか。
また愛について哲学的に語っている「饗宴」もあるので、もし興味があれば読んでみると面白いかもしれません。
哲学者プラトンの生涯、功績やアカデメイアについてのまとめ
今回はプラトンの生涯や功績、アカデメイアについて解説しました。
プラトンが重要視した「イデア論」という考え方。
これはおそらくあなたが考える、理想の人生、理想の生き方もまたイデアなのです。
このような哲学思想が日常の中に存在することを気づくのは面白いですよね。
ぜひ、興味があればプラトンの書籍読んでみてください。