どうも、マルタです。
今回は「六中観」という教えについて解説していきます。
六中観とは、日本の陽明学であり、哲学者でもある安岡正篤という方が座右の銘に据えていたと言われる教えです。
この教えは日々をよりよく生きる指針となります。
日々の忙しさに嫌気がさしている、不自由さを感じている、辛い状況に直面している、どのように生きていけばいいのか曖昧であるという方には、最適な処方箋になると思います。
ぜひ参考にしてみてください。
六中観6つの教え
六中観には6つの教えがあります。
- 忙中閑あり
- 苦中楽あり
- 死中活あり
- 壷中天あり
- 意中人あり
- 腹中書あり
なんだか難しそうな気配がありますが、一体どういうことなのか?
1つずつ解説していきます。
1.忙中閑あり
忙しさの中にある暇や時間こそ、自分の成長となりうるという意味です。
一般的には、なるべくなら忙しさから解放されたいと思ってしまいますが、実はその忙しさの中にある時間こそ一番大切だという教えです。
単なる暇や休み時間は退屈でしかありません。
その一方で、ただ忙がしいだけでは意味がありません。
例えば、何もしないダラダラした時間は休みでもなんでもないし、逆に何も考えずただ仕事することも意味がないのです。
自身が誇りや責任感を持って、あるいはクリエィティブに活動している忙しさの中の時間を大切にしましょう、ということなのですね。
2.苦中楽あり
どんな苦しい中にも楽しみは見出せるという教えです。
困難に直面すると、どうしても「いかにして避けられるか?」「どうやって切り抜けて楽になれるか?」と考えますよね。
しかし、その切り抜けること自体が実は楽であり、楽しいものなのかもしれません。
もちろん、辛いことは辛いです。
例えば朝早く起きなければならない。
1日中、仕事がある。
大量の仕事が回ってきたなど。
そんな「うわ〜」と思う状況の中にも、楽しめるポイントはあるのですね。
その楽しめるポイントを見つける工夫をすることで、苦しみの中からも学びを得ることができるのです。
3.死中活あり
絶体絶命の中にも活路はある、ということです。
大切なことは、どんなことも死ぬ気でやれば必ず道は開けるということです。
何かやろうとしたが、壁が現れた時。
これは無理だろ…と感じた時こそ、実は突破するチャンスなのですね。
無理難題こそ解決策があると意識してみると、人生が開けてくるのです。
4.壺中天あり
狭いツボの中に広々として天があるという意味です。
つまり日々が忙しく、自由を感じられない状況だとしても、心がけ次第では自由さを感じられるということです。
また、何かあった時も誰にも邪魔されない心の休まる自分の別世界を持つことの重要性を説いている教えでもあります。
例えば、趣味を持つとか。
僕であれば数学を学ぶとか。
何でも良いので、現実とは別世界の何かを楽しむ何かを持っておくことが大事なのですね。
5.意中人あり
心の中に尊敬する師匠を持つことです。
この尊敬する師匠がいれば、いざというときに心強い助けとなります。
例えば、何か仕事で困ったら〇〇さんに相談する。
愚痴をこぼしそうになったら、〇〇さんに心境を打ち明ける。
病気になったら〇〇病院へ行く、あるいは〇〇さんに診療してもらう
など。
困った時は、誰に相談するかを心の中に決めておくことが、日々を確実に一歩ずつ前進する糧となるのですね。
6.腹中書あり
知識ではなく、生きる知恵を身につけることが大事だということですね。
そのような学びを常に行うことで、賢明な行動や判断をする大きな助けになってくれます。
この「腹中書あり」に関しては、「読書尚友」という言葉もあるので、ご紹介します。
「腹中書あり」とは、「書物を読んで、昔の賢人の友人にする」という意味です。
自身の座右の書をもち、耳学問ではなく「知識」を経験・学問を積み「見識」にして、さらには実行力を伴う「胆識」とするということです。
例えば、本を読みっぱなしにするのは、あまり意味がありませんよね。
大事なのは、学んだことを自身にも使えるかどうかなのですから。
そして、それを活用することで自分の人生をよりよくすることが最終目的なので、学んだ知識は経験することで、生きた知恵にすることが大切なのですね。
六中観 まとめ
今回は日本人の明陽学者であり哲学者の安岡正篤さんの座右の銘「六中観」について解説しました。
- 忙中閑あり
- 苦中楽あり
- 死中活あり
- 壷中天あり
- 意中人あり
- 腹中書あり
どれも常に意識したい考えですよね。
ぜひあなたも何か実践してみてください。