趣味「数学」を世界一嗜んだ天才数学者フェルマーの業績と生涯について

数学者フェルマーの言葉

どうも、丸田です。
今回はフランスの数学者フェルマーについて解説していきます。

フェルマーはおそらく世界で一番、趣味「数学」を楽しみ尽くした人物の一人でしょう

そして、おそらく天才数学者の中で、最も平穏な人生を送った幸福な大天才でしょうか。

天才は、なにかと不遇な状況に陥りがちなもので…汗

フェルマーの本業は裁判官、法律家でした。
そのスキマ時間の趣味として数学を嗜んでいたのですね。

なので、「論文を出さなきゃ!」とか「新しい定理を発見しなきゃ!」なんて切迫感はありません。

もちろん本一冊すら出版しておりません。

しかし、フェルマーの数学力は他の天才を引けを取らないほどの才能がありました。

後にフェルマーは「全時代を通じてもっとも偉大な純粋数学者の一人だ」と評価されています。

趣味で名を馳せるって、さぞキモチ良いだろうな〜

ではフェルマーはどんな人物だったのでしょうか。
また数学にどんな影響を与えていたのか。

今回は最強の趣味数学者フェルマーについて解説していきます。

目次

数学者フェルマーの生い立ち・特徴

フランスの数学者ピエール・ド・フェルマー(1607年〜1665年)。

数学者フェルマー

フェルマーの生い立ちは文句の付けようがないくらいに理想的です笑

裕福な家庭に生まれ、すくすく育つ

フェルマーは南フランスのトゥールーズの近くのボーモン=ド=ロマーニュにある、裕福な商家で生まれました。

すくすく育ったのち、トゥールーズとオルレアンの大学で法律を学び、ボルドーでは数学を学びました。

法律を学んだ経験がフェルマーのキャリアへとつながった一方、数学は一生を通じた趣味になったのでした。

こうして、若い頃から人生の土台が完成したのですね。

名だたる数学者たちとの文通で新たな定理を導く

フェルマーは著作を残しませんでした。
しかし、その一方で数学者たちとの文通によって新たな数学理論を切り開いていった背景があります。

数学者であり科学者のパスカルとの文通によって「確率論」を立ち上げました。

確率論

確率は未来の予測や確実性を測る上で欠かせない現代学問の一つです。

また哲学者ルネデカルトとの文通によって、解析幾何学や微分積分に関する理論を構築していったのですね。

微分積分と言えば、ライプニッツが有名ですが、実はその微分積分学の基礎を作ったのはフェルマーなのです。

数学者じゃないのに、ここまで人智の域を超えた大発見を連発しているのは凄すぎますね笑

1631年あたりから、大量の数式メモを残し始める

当時、数学界でトップ3に入る名著「算術」という本があったのですが、フェルマーはその本を熱心に読んでいました。

そして、本を読みながら思いついた定理を、自分の本の余白などにメモしていきました。

マジモンの天才です。

【補足】数学書で一番読まれている本はユークリッドの「原論」ですが、「算術」はそれに並ぶほど有名です。

「コイツめちゃくちゃスゲー!!」と思ったがしかし!!

なんとフェルマーは定理に証明を残さなかったのです。

これは数学界では大事件です。
なぜなら数学において、証明はめちゃくちゃ大事だからです。

証明がないと、どんな定理も認められません。

だからこそ、数学者は導いた定理はゼッタイに証明をするのです。

そのはずなのでが、、、、やはり数学は趣味程度なのか。

フェルマーはつらつらつら〜と定理をメモして、証明しないという笑

フェルマー リラックス

とてもマイペースでゆったりしているフェルマーなのでした苦笑

悪魔の定理を世に放って、この世を去る

最終的にフェルマーは、48個もの新たな定理を残してこの世を去りました。

ちなみに、これらの定理をフェルマーは誰にも発表していませんでした。
なのでそれら定理は忘れ去られる運命だったでしょうし、フェルマーも世に残したいという気持ちはあまりなかったのだろうなと推測されます。

しかし、その運命は変わりました。
フェルマーの死後、彼の息子が遺品整理の中にフェルマーが残した定理のメモを見つけたのでした。

「なんかすごそう」と思った息子は、この定理を数学者に提供することに。
これが数学界に新たな嵐を呼ぶキッカケとなったのでした。

その結果、数学者たちは100年もの間、フェルマーが残した定理に証明を与える仕事に追われることとなります。

数学者にとっては、ひゃっほーいな状態でしょうね笑

さすが数学者。
彼の残したメモ程度の定理でもしっかりと証明をこなしていったのですね。


唯一1つを残しては。

どれだけ頑張っても、どうしても証明できない定理が1つだけありました。

それが「フェルマーの最終定理」と呼ばれるものとなります。

この定理に関して、フェルマーが残したコメントはこちらです。

数学者フェルマーの言葉

「私はこれに対して、誠に驚くべき証明を見つけたが、それを述べるにはこの余白はあまりに狭すぎる」

「オイオイ!マジかよぉ!」ときっと数学者は思ったでしょうね。

フェルマーの最終定理、これはあまりにも難しい問題でした。
どんな大天才と呼ばれる数学者も爪痕を残すだけが精一杯だったのです。

かれこれ360年もの間、未解決になったのです。
さらに解決したら数億円の懸賞金がつけられるという賞金首にまで成り上がったのでした。

こんな悪魔のような定理を世に放って最後を迎えた。これがフェルマーの生涯でした。

裁判官、法律家として活動しながら、趣味数学で名を馳せたなんともマイペースな幸せ数学者。
それがフェルマーだったのではないかと思います。

さて、ここからはフェルマーが残した業績を詳しく解説していきます。

フェルマーが残した業績

フェルマーが後世に偉業はとてつもなく凄いのです。

その代表的なものをご紹介します。

解析幾何学を創立

解析幾何学とは、カンタンにいえば方程式を座標平面上に投影することで、幾何学的にアプローチすることを目指した学問です。

一番馴染みがあるのは、関数でしょうか。おそらく直線とか二次曲線とかそんな言葉聞いた経験があると思います。

学生の頃は何気なく使っていたこの概念ですが、実はとてもスゴイんですよ!

なぜなら、「方程式は方程式」、「図形は図形」というように、独立していた学問だったからです。
しかし、この方程式を図形として表現するという学問に融合させたのですから、とんでもない発明。

しかも、方程式をビジュアル的にアプローチできるので、方程式というものへの見方も変わったのです。

ちなみに、この平面座標を最初に作ったのは「我思う、ゆえに我あり」でも有名なフランスの哲学者、ルネデカルトです。

フェルマーはデカルトと文通していたので、デカルトの発明に非常に興味関心を抱き、関数に関する様々な性質や数学的理論を構築していったのです。

接線のアプローチから微分積分へつながるヒントを見つける

さらにフェルマーは解析幾何学の分野において、接線を考えました。

この思考がとても面白くて。
というのも、接線のアプローチこそが、現代科学を大きく支える「微分積分」につながるからです。

微分積分を明確に定義したのは、のちに活躍するライプニッツという数学者ですが、そのライプニッツが微分積分を定義する前段階から既に、フェルマーは微分積分と同じ理論を活用していたのです。

実質、フェルマーは微分積分の学問を切り開いたパイオニア的人物でもあるのです。

パスカルとの文通で確率理論を構築する

気圧「hPa(ヘクトパスカル)」で有名な数学者、科学者パスカルとフェルマーは文通をしていました。

その中で、確率論が始まったのです。

ちなみに、なぜ確率の話になったのか?
きっかけは「ギャンブルに勝ちたい!」という思いから。

オイオイ…という感じではありますが、天才数学者は何かとギャンブルが好きみたいで、カルダーノという数学者は、生涯を通じてギャンブルをやっていたそうです。(結果は惨敗…笑)

今でこそ、確率論は現代社会では重要な役割を担っています。
例えば、天気予報も1つの確率ですし、%を調べることによって、起こりうる未来を予測できるわけですからね。

そんな重要な技術が、ギャンブルから生まれたと考えると面白いですよね〜。

そんな現代において必須の確率理論を構築した人物の一人がフェルマーなのです。

ちなみに、フェルマーとパスカルの文通の詳細はこの本にて解説されております。
興味があればぜひ↓

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