どうも、丸田です。
突然ですが、ふと思ったんですよね。
数学者ピタゴラスは救えるかも!?と。
…まぁ何の話?て感じですよね笑
というのもピタゴラスはとても頭の良い数学者であったと同時に、数を信仰する宗教団体「ピタゴラス教団」のトップでもありました。
別に僕は彼が宗教団体のトップであったこと自体には何も異論はありません。
ただ、彼が教団の中で完全にやらかしてしまいまして。
↑これが問題なんです。
その結果、超イケイケだった教団が一気に潰れてしまい、ピタゴラス自身も弾圧されて命を落としてしまったのですね。
つまり、順調だったピタゴラスは加速度的に失墜してしまったのです。
そんな悲劇を迎えたピタゴラス。救いはないのか?
どうすれば教団が潰れずに、長く運営できたのか?
そしてどうすれば、ピタゴラスは幸福に生きていけたのか?
そして、思いついたのです!
そうだ!「完全教祖マニュアル」を使えば、ピタゴラスは助かるのかもしれない!
ということで、今回完全教祖マニュアルを参考に、どうすればピタゴラスは助かったのか?を完全なる独断と偏見で考察していきます。
最初に申しますと、数学をガチ厳密に学びに来られた方は、全然期待に答えられませんのでご了承くださいm(_ _)m
もし数学を面白おかしく知りたい方はぜひ読み進めてください。
ということで本編に入る前に、少しだけピタゴラスの略歴とやらかしをご紹介します。
こちらの記事では、ピタゴラスの生涯をより詳しく解説しております。
もしよければこの記事もご参照ください。
ピタゴラスの略歴
ピタゴラスの人生の流れを簡単にご紹介します。
若い頃から真理の追求に没頭したピタゴラスは、エジプト周辺を旅しながら、音楽、天文学などの法則を明らかにしていった。
ピタゴラスは自身の経験から「数字こそが神である!」という確信を抱く。
そしてそれを信仰とした「ピタゴラス教団」を設立。
いろんなエリートたちがその信仰に共感し、入団!
本格的に団体が始動!
さぁ!ここからピタゴラスの真理の冒険の幕開けだ!!
みんなで力を合わせて「三平方の定理」の証明に成功!
また一つ、世界の真理を解き明かしたぞ!!
なんと!教団メンバーのヒッパソスが新しい数字、√2を発見!!
これは平方根という新しい概念だ!!
やったね!!!
ヒッパソスは処刑されました。
内部で不信感が募りに募っていたのが爆発。
さらには街の人たちも一致団結して、ピタゴラス教団を破壊。ピタゴラスは追い詰められて命を落としました。
という…。いやぁ、急に処刑というホラー展開ね。
しかも一説によると、水責めにしたと。やり過ぎやろ。
これがピタゴラスの完全なるやらかしです。
優秀なヒッパソスを処刑してしまったことで、完全に空気が変わって流れが悪くなってしまってますからね。
いともたやすく行われるえげつない行為をやらかしたピタゴラス。
この行為によって、メンバー内で不満が爆発し、なんと街の人たちから弾圧されるという…。
最終的に、命を落としてしまったのです。
「コイツ、自業自得だろ。しゃーないわ!」
えぇ…。僕も最初はそう思いました。
しかし、よくよく考えたらこれには、ピタゴラスの葛藤があったんじゃないかな?とも思うのです。
ピタゴラスの葛藤
ピタゴラスの葛藤。それはヒッパソスの新しい発見を「認める」か「認めないか」。
「いやいや認めろよ!」と思うかもしれませんが、問題はそんなシンプルではありません。
それは、ピタゴラスが掲げている教団の信仰にあります。
ピタゴラスは教団の信仰とは「数字こそが神である」ということです。
では、この数字とはなんなのか?
それは「有理数(整数比)で表される数字」なんですね。
有理数(整数比)とはザックリ言えば、綺麗に表される数字です。
例えば、普段使っている数字「1,2,3,4,5…」という数字と、後は1/2や4/3みたいな表現ができる数字です。
0やマイナスは含みません。また√2という数字は分数で表せないため認めていませんでした。(というよりそのような数字の概念がなかった)
ですので、ピタゴラス教団の信仰というのは、「有理数(整数比)で表される数字こそが神であり、万物を創造している!」というもので、この信仰素敵ー!という人が集まっていると言えるのです。
だからこそ、ヒッパソスが発見した√2はまさに、認めていない数字が存在してしまっているという、いわば信仰を揺るがす大事件とも言えるわけです。
これが明るみになったら、
「ピタゴラスの嘘つき!数字は有理数だけって言ったよね!?それが神だって言ったよね?じゃあ、なんで有理数じゃない数字が存在するの!?私たちを裏切ったの!?」
と石や卵とか投げつけられかねないわけですよ。
最悪、教団みんなから信頼を失い、解散…という可能性すらありました。
だからこそ、ピタゴラスにとって「√2を認めるかどうか」はまさに教団の危機をかけた、究極の2択だったのでしょう。
ヒッパソスの発見を認めたら真理に1歩近づける。
しかし、認めると教団が崩壊する恐れあり…。
ピタゴラスの当時の心境を考えると、「めっちゃ葛藤したんだろうな〜」と思います。
まぁピタゴラスはすでに亡くなっているので、あくまで想像ですけども。
あ、もし死者と交信できる人は、ぜひピタゴラスに当時の心境を聞いてほしいです。
そして僕に教えてください笑
とまぁ話を戻しますと。
ピタゴラスは
- ヒッパソスの新しい発見を認め、教団崩壊のリスクを背負うか
- 新しい発見をもみ消して、教団の維持を優先するか
この2択でとても葛藤したと考察されます。
その結果、後者の「新しい発見をもみ消して、教団の維持を優先」を選んだのですが、これが見事に裏目に出たわけですね。
うーむ、なんとも救いがない…。
ではピタゴラスはどうすれば良かったのか?を考える上で、話をグーンと戻して、今回活用させていただいたのが、この「完全教祖マニュアル」です!
大変長らくお待たせしました!
ここからは「完全宗教マニュアル」を使って、ピタゴラスを助けていきたいと思います。
結論
結論を申します。
ピタゴラスは
【ヒッパソスを処刑は取りやめて、素直に謝罪すべきだった】
そうすればより教団はうまく行っただろうという結論になりました。
めちゃくちゃ当たり前ですみませんw
ですが、これには明確な根拠があります。
ここからは完全教祖マニュアルの内容に沿って解説していきます。
ピタゴラスは教祖失格!
まず厳しいことを言います。
ピタゴラスは教祖失格です。
それは、完全教祖マニュアルを読めばわかります。
教祖は一体何をするものなのでしょうか?この答えは簡単です。
教祖は人をハッピーにするお仕事なのです。
〜中略〜
イエスは何をしようとしましたか?
戒律により硬直化した社会を打破し、人々をハッピーにしようとしたのです。
釈迦は何をしようとしましたか?
輪廻転生によるカースト制度を打ち破り、人々をハッピーにしようとしたのです。
分かりますね?あなたの使命もやはり「人をハッピーにすること」なのです。
要するに、宗教団体の教祖の仕事は「人をハッピーにすること」なのです。
そう考えた時、ピタゴラスがヒッパソスを処刑したことは果たして人をハッピーにする行為でしょうか?
否、そうではないですよね。
ヒッパソスの両親はきっと嘆き悲しんだはずです。
ヒッパソスの兄弟、親友は彼に数々の手向の言葉を送ったことでしょう。
そして、ヒッパソスが教団へ入団することを全力で止めなかった自分たちを呪ったことでしょう。
ちなみに、当時のピタゴラス教団は、街の人からも怪しいと思われていたそうです。
そう。ピタゴラスは人を不幸にしている時点で教祖失格なのですよ。
ピタゴラスは教祖の「人をハッピーにすること」という使命を全うするには、理由でなんであれ処刑するべきではなかったのです。
ましては、ヒッパソスはピタゴラス教団においてはまさに優秀!エリート!インテリです。
完全教祖マニュアルにおいても【教団においてインテリは重要だ】と主張されています。
要するに、ピタゴラスが加速度的に人生失墜した原因というのは、
- ピタゴラスの処刑という間違った選択をしたこと
- 処刑する人物がヒッパソスという超インテリであったこと
これらが重なったことがとても大きいわけです。
まさに火に油を注いでしまったようなもの!
大失敗。愚策!愚か者ーーー!!
てな話なんですよね。
こうなると、じゃあ「√2を認めたら、メンバーからの信頼を失うではないか?どうすればいいんだ!?」という反論が生まれるでしょう。
これにはどう対処するべきなのでしょうか?
それも完全教祖マニュアルが教えてくれます。
信仰は変えてもいい
ここで我がバイブル、「完全教祖マニュアル」の22Pあたりを読んでいきましょう。
すると、このようなフレーズが目に入ります。
宗教において神の存在を見定めるのは非常に重要な問題です。宗教を作ろうとした多くの人がこの問題に悩み、莫大な時間を割いてきたことでしょう。
ですが、あなたはそれほど真剣に悩まなくとも構いません。
なぜなら、神がいるかいないかなど、どうでも良いからです。
はい。重要なのは【神がいるかいないかなど、どうでも良い】と部分。
ピタゴラスは「整数比こそ神であり、宇宙を構成している」という神秘主義を掲げていましたが、正直それが本当なのかどうかは【どうでも良い】という風にも解釈できるのではないでしょうか?
冷静に考えてみてください。
そもそも本当に信仰が揺らぐことで教団メンバーはピタゴラスから離れるでしょうか?
離れないでしょう。
だってそうでしょう?
普通、宗教に入団する人たちって何かしら人智を超えた救いを求めている人じゃないですか(超偏見)。
例えば、
「この神を信仰すれば大災害でも生き延びれます」とか
「この太陽神に祈りを捧げれば、本当の自分に出会えます」
「仕事、お金全てが手に入ります!」
「この教団に入れば死後、天国にいけますよ!」
みたいなイメージできる利益があることが決め手となって入信すると思いませんか?
少なくとも、僕が宗教に入団するなら、そのような判断で入ります。
じゃあ、ここで考えてみてください。
「数字こそが救いです!神なのです!」と高らかに宣言して果たしてどれだけ人来ますか?って話です。
ほぼ来ないですよね。だってそんなに魅力的じゃないもん。笑
というかそもそも意味がわからん!笑
おまけに怪しいし。
でもそんな信仰が響いて集まった人もいるわけで。じゃあそれがどんな人なのか?
ズバリ「真理マニア」でしょう。
つまり真理への追求にこそ燃える人たちの集まりじゃないですか。
ですから、信仰はぶっちゃけおまけ。真理を追求するそのスタンスに教団メンバーは共感したんですよ。
ピタゴラスの情熱に惹きつけられてるんです。
だから、整数比にこだわりすぎずにもっと寛容さを示していれば教団は崩壊せずにすんだんですよ!
なぁピタゴラスよ。聞いてるか?今大事な話してるぞ!
え?でもそれでも納得しないメンバーがいるかもしれないって?
心配ご無用!
完全教祖マニュアルには、さらにこのような記述があります。
現実社会の問題点に即して、いま必要とされる神を作れ
素晴らしい言葉ですね〜!
つまり神様という存在は、社会の状況に応じて機能を変えていいというわけです。
根拠は以下のとおりです。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教が同じ一なる神を信仰していることはご存じと思いますが、それぞれの教えで神はずいぶんと性格が違ってきます。
元々ユダヤ人が信じていた神は、北イスラエル王国の信仰が疎かになったからって滅ぼしちゃうような怒りの神でしたが、これがキリスト教になると戒律を少々破っても怒らない温厚な神になりました。
これはキリスト教がユダヤ教の戒律をあまり守ってないからです。「戒律なんか守ってられっか!」という現実の問題点に即して神の性格が変化したのですね。また、ユダヤ教の神はイスラエルの民だけを救う排他的な神でしたが、イスラム教では多数の部族をまとめる必要があったため、特定部族に肩入れしない神に変わりました。
このように見ると、神が状況に応じて機能していることが分かると思います。
はい。つまり、世界的に信仰されている宗教も社会の状況に応じて神様が機能しているのです。
もっとザックリ言えば、信仰なんて変えていいんだよと。
ピタゴラスが抱えていた問題点は、「整数比で表せる数しかないと思っていたら、実は整数比で表せない数字が存在した」ということです。
であれば、「整数比でも表せない数たちも存在し、それらが宇宙の真理を構築している」と信仰を変えれば問題なかったわけです。
さらに完全教祖マニュアルには、
暖かく見守り、その存在を肯定する神を作れ
とあります。
ですので、「整数比でも表せない数たちも存在し、それらが宇宙の真理を構築している。そしてこれら真理を追求する我々に神は祝福してくれるだろう」とでも言えば良かったんです。
そうすれば教団は破壊されずに済んだのに…。
すべて神様のせいにしろ!
いやいや!でも、さっきのユダヤ教、キリスト教、イスラム教の話は、地域が異なるから信仰の内容を変えられるじゃないか!
ピタゴラス教団は同じ宗教内だぞ!変えたらマズイだろ!支離滅裂になるだろ!
そんな反論もあるかと思います。
よろしい。では完全教祖マニュアルよりさらなるお言葉を与えましょう。
「まぁ、これも神の思し召しだろう」と神のせいにできるのです。
はい。つまり整数比でしか表せないと思っていた世界に、整数比で表せない数字が現れたこと。
これは神の思し召しなのです。
さらに完全教祖マニュアルを引用しますと、
誤解している人も多いと思いますが、神は別に努力した人すべての夢を叶える必要なんてありません。
良い結果など出なくても一向に構わないのです。
ただ、信者が「神は絶対間違えない。必ず正しいことをする」と本気で信じてさえいれば、どんな結果が出たとしても「これが神の意志なら間違いない」と肯定的に受け入れられるのです。
ここから言えることは、神は絶対に間違えないと信じているなら、全ては神の意思でまるく収まるということです。
そもそも「数字が神」という信仰がありましたよね。そして強く信じていたわけですよね。
であれば、整数比でしか表せないと思っていた世界に、整数比で表せない数字が現れたことは神のご意志です。数字のご意志です。数字は間違えないのですから。
整数比で表せない数字があることは間違いないのですよ。
え?納得いかない?
そもそも「整数比で表せる=数字=神」だから、「整数比で表せる=神」である。
ゆえに、整数比で表せないなら神じゃない。
神という存在自体が破綻するからダメじゃないか!って?
大丈夫、大丈夫!!
完全教祖マニュアルから、さらにお導きのお言葉を送りしましょう。
教祖を目指すあなたが最初になすべきこと。それは教義の作成です。
〜中略〜
口頭で弟子に指示するだけで全然構わないのです。放っといても後で弟子たちが巧いこと成文化してくれます。仏教もキリスト教もそうやってきたのですから。
なお、あなたがある程度教祖として大成した後は、ふらふらしたり、適当なことを言ったりするだけでもそれが教義となるので大丈夫です。
あなたの行為に隠された深い真意は弟子たちが一生懸命考えてくれます。
そうなればあなたは自然体で生きていくだけで良いのですから楽ちんですね。
〜中略〜
また、あなたの言っていることが前後で少々食い違っていても気にしないでください。
これも弟子たちが適当にアレンジして辻褄を合わせてくれます。ですから、少しくらいのミスは気にせず、勇気を出して初めの一歩を踏み出してください。最初から完璧にできる教祖なんていません。
ゆっくりでいいのです。
つまりは、自分の掲げた信仰とちょっと違った部分が出ても大丈夫!ってことです。
あとは弟子たちが勝手に意味づけしてくれるのですから。
ほら。有名なマンガなどでも、意味深な場面があると、読者はいろんな考察をしてくれるでしょう。
それと同じで、成功した教祖なら何言っても弟子たちが考察・意味づけ・そして辻褄合わせしてくれるのですから。
ピタゴラスは政治にも関与できるほどの大きな影響力がありました。
ということは、教祖としては大成功していたと考えて間違いないでしょう。
ですから、ピタゴラスは「整数比では表せない数字もあったね!悪いわねー!ありがとねー!これからもよろしくねー!」とでも言えば良かったんですよ。
プラス、謝罪があればなお良しだったのに…。
そうすれば、ピタゴラスのトップとしての姿勢がメンバーに素晴らしく見えて、ピタゴラスとメンバーは団結して真理の旅が続いていたのに…。
まとめ
はい。ということで、今完全教祖マニュアルで数学者ピタゴラスは救えるのか?という考察をご紹介しました。
結論、救えましたね!笑
ピタゴラスは結局、教団の崩壊を免れるために、新しい数字の発見をもみ消した(=メンバーを処刑)したわけですがが、それは愚策だった。
教団の信仰を一新して、謝罪すれば、再出発を図れば全てが丸く収まるという結論に至りました。
とはいえ、まだまだ不完全な部分もあるかと思いますので、それはまた別の記事にて触れたいと思います。
まぁどんなにすごい人でも偉大な人でも、失敗は必ずあります。
しかし、その失敗から目を背けず、ちゃんと受け止めて冷静に対処することが大事なのですね。
というそんな教訓を得ることができました。
最後まで読んでくださり、ありがとうございましたー!
PS.
この記事を書いて思ったのが、自分がカルト教団に入団した気分になりましたね笑
完全教祖マニュアルを教祖にしている自分を客観的に見て恐ろしいなと思いました。
ぜひ「完全教祖マニュアル」面白いので読んでみてください。おわり。