負の数の歴史から見えるインドとヨーロッパ数学観について

負の数 歴史

「0から4を引けば、0である」

これは1600年代に活躍したブレーズ・パスカルの言葉です。

パスカル

ちなみに、 パスカルはフランスの哲学者であり自然哲学者、さらには物理学者、思想家、数学者、キリスト教神学者、発明家、実業家でもあります。

パラレルワーカーにもほどがあるだろ!

と思わずツッコみたくなりますが、、、、パスカルは天才中の天才として数多くの定理を残しています。

「そんな天才が0-4=0という間違いをするなんて…」と思うことなかれ。

これは間違いというよりは、マイナスという概念を受け入れられていなかったというのが正直なところでしょう。

今でこそ「0から4を引けば-4じゃね?」と当たり前に回答できますよね。

他にも、寒い地域の温度にはマイナスが使われたり、経営の赤字はマイナス表記されたりと、日常的に、マイナスを目にする機会はよくあります。

マイナス

そんなマイナスも実社会に使われるようになるには、長い時期を要しました。

これは数字の仲間入りするのにめちゃくちゃ苦労した数字「ゼロ」に似た経緯があります。

【参考記事】すごいけど実はめっちゃ苦労人!?数字「0」の誕生と歴史について

マイナスが実社会に受け入れるまでの流れを超ザックリに説明すれば、

「マイナス?そんな数字認めん!」
→「んー、マイナスがあった方が便利なのか…えーでも〜…」
→「分かった!マイナスを認めよう!ようこそ数学の世界へ!」

みたいな王道の流れです。

この記事ではマイナスの歴史を通して、垣間見える数学観について解説していきます。

※今回の記事は考察なので多少、厳密性に欠ける部分はご容赦いただけたらと思います。

目次

ヨーロッパとインドの数学観の違い

冒頭でもお伝えしたように、「0から4を引けば、0である」は1600年代フランスの数学者パスカルの言葉です。

しかし、ここから約1000年前の600〜700年頃、インドでは「負数に負数を掛けると正数を得ることは羊飼いでも知っている」と言われていました。

分かりやすく言うと、「マイナスとマイナスをかけたらプラスになることは、誰でも知っている当たり前の話だ」ということです。

この言葉から分かることは、ヨーロッパ地域では「マイナスなんてない!」というスタンスなのに対し、インド周辺では1000年も前からマイナスを使っていたということです。

おやおや?

こう考えると、天才パスカルよりもインド人の知恵の方が一枚うわ手な感じがありますね〜。

ちなみに、数字の「ゼロ」もヨーロッパ地域では1600年から本格的に使われ始めましたが、インドでは600〜700年頃にはすでに採用されていました。

なぜインドは新しい数字概念には寛容で、ヨーロッパは厳しいのか?違いは何か?

そう考えたとき、彼らの生活に根付く数学観に何かヒントがあるのではないかと見えてくるのです。

数学観とは、ズバリ「ヨーロッパの数学観=物質・神」、「インドの数学観=道具」だと僕は感じています。

数字に神を見るヨーロッパと、数字を道具として使うインド

数学の歴史を振り返ると、実は発展の仕方は地域によって多少異なります。

その中でも最も特徴的なのがヨーロッパとインドです。

ヨーロッパの数学観

ヨーロッパ 数学観

ヨーロッパ周辺では、ギリシャあたりから数学が発展していきました。

特に幾何学や面積を求めるために数学が使われていました。

当時の人々は数学を活用して、神殿や建物などを建設していったわけですが、

ふと「世界は数字でできているのではないだろうか?」と思う人が現れます。

冷静に考えると確かにそうですよね。

周囲を囲む建物全てが数学の知恵によって成り立っているわけですから、「神は数学であり、数学は神ではないのか?」とか、「数学は神の学問なのか?」と思うのも自然な気がしますね。

こうして数字と哲学・神を結びつける傾向が強くなりました。

その流れで「万物は数でできている」という言葉が登場したり、数字を崇拝する宗教団体も作られたりします。(これはまた別の記事解説します)

このような背景から、ヨーロッパの数学はどこか神秘性をまとうようになったのです。

ちなみに、ゼロが登場した時も「ゼロは神だ」と崇める考えが生まれました。

そんな中、「マイナス」という概念も登場し、当時の数学者からはバッシングの嵐でした。

「おいおい、神(=ゼロ)より上位の概念が存在するなんて冒涜だぞ!」などの声が上がったと言われています。

ちなみに、「我思う、故に我あり」で有名の数学者・哲学者ルネデカルトもその1人だったそうです。

【参考記事】我思う、ゆえに我ありとは何か?デカルトの方法序説の要約

つまりヨーロッパ周辺では、数学に神を見出す価値観があったからこそ、新しい数概念を取り入れるには哲学を見直す必要があり、受け入れるには時間が必要だったと考えられます。

インドの数学観

インド 数学観

一方インドでは、主に計算が主でした。

ですので、ひたすら日常を便利にするための計算技術という発想が強く、神と数字の結びつきはそこまで強くなかったそうです。

インドには二桁以上の暗算技術があるのも、この文化に由来していると感じています。

ちなみに500〜600年頃は、単語連想式数記法という手法があったそうです。

具体的には、数字と単語を結びつける数字を記述する方法です。

例えば、火=3、目=2、海=4などのような表記ルールを決め、64800を空虚(0)、空(0)、八(8)、海(4)、六(6)と記述したのだとか。

このように、インドでは数学を道具として使うという価値観が強かったため、ゼロやマイナスという新しい概念も、便利であれば即採用!

そんな事情があったと考えられます。

【補足】その後も別々の道を歩むインドとヨーロッパ

補足ですが、インドとヨーロッパ圏の数学は別々の道へと発展していきます。

600年頃、インドでは「ガナカ」という計算専門の職業がありました。

プラスマイナスやゼロなどの数学知識を駆使して、当時ではかなりの高給取りだったそうです。

ガナカの人たちは、数値計算や管理、そして後に占星術師としても活躍していったそうです。

一方で、同じく600年頃、なんとヨーロッパ地域では、法律的に数学が禁止され、「何人も占い師あるいは数学者と話をしてはいけない」と言われていました。

数学者・占い師は極悪人として認定された時代が1000年以上続くことになってしまったのです。

数学の歴史を通して見ると、インドはより発展し、ヨーロッパは禁止されるという、それぞれ正反対に進んで行くという不思議な関係があります。

※しかし数学・哲学・物理学などの科学に大きな貢献をした偉人たちはヨーロッパ出身の人が多い傾向があります。

例えば、
ルネデカルト(フランス)、フェルマー(フランス)、パスカル(フランス)、ライプニッツ(ドイツ)、ニュートン(イギリス)、オイラー(スイス)、ガリレオ(イタリア)、ケプラー(ドイツ)、ガウス(ドイツ)フィボナッチ(イタリア)などなど…

ヨーロッパには有名な天才が数多く存在します。

数学が禁止されたから、ここまで多くの偉人が登場したのか?
因果関係がもしかしたら、あるのかもしれません…。
(ルネサンスの影響もあるのかもしれません)

負の数の歴史から見える数学観についてのまとめ

今回は負の数の歴史を通して、見えてきた数学観について解説しました。

つまりは、ヨーロッパは数学=神の意識が強いため、新しい概念には抵抗が生じる。

一方、インドは数学=道具という意識が強いので、新しい概念を取り入れることに抵抗は少ない。

この数学観が、数学の発展の違いを生み出しているのではないかと考えられます。

今でこそ、世界共通の数学ですが、昔は地域によって価値観も考え方も違っていたというのは面白いですよね。

今回の負の数に関する内容は以上です。

【補足】参考書籍

今回の記事執筆に関して、参考にさせていただいた書籍をご紹介します。

どれも面白い内容なので、ぜひ参考にしてみてください。

数学序説

数学史に初めて触れる人にオススメ

数学の魔術師たち

物語形式で楽しみたい方へ。定期的にAmazon Unlimitedで0円で読める

数の発明

かなり読み応えある本だが、数の発明に深く鋭い考察を取り入れた一冊

この記事を書いた人

目次