どうも、丸田です。
今回は数学者「タルタリア」をご紹介します。
結論、タルタリアは数学界随一の努力家です。そして、不憫なラストを迎えた人物でもあります… (´д` ;)
もちろん他の数学者も努力家ですが、タルタリアは人一倍泥臭さがあって親近感湧きます。
というのもタルタリアは当時、難問とされていた三次方程式の解の公式を発見したことで一躍有名になりました。しかし、この三次方程式の解の公式をめぐって、トラブルにも巻き込まれてしまうんですね〜_| ̄|○
とは言え、解の公式が後世の数学に大きな影響を与えたことを考えると、タルタリアは只者ではありません。
ということで、この記事では数学者タルタリアの生涯と業績について解説していきます。
タルタリアの生い立ち・生涯
不遇の少年時代から始まったタルタリアの人生
舞台は1500年頃。タルタリアはイタリアのブレシアに生まれました。
ちなみに、「タルタリア」はあだ名で、本名は「ニコロ・フォンタナ」です。
なぜタルタリアというあだ名が付いたのか?
ここに彼の不遇の少年時代が絡んでおります。
タルタリアはブレシアの貧しい家庭に生まれました。
1512年、ブレシアはフランスの軍隊に占領され、多くの市民の命が失われてしまいました。
逃げたタルタリアはなんとか一命を取り留めますが、舌を傷つけられて、喋るのが不自由になってしまいました。
イタリア語で「うまくしゃべれない」を意味する「タルタリア」が彼のあだ名となってしまうのですね。
数学者とは思えない、キツい過去ですね…。
独学で才能開花させ、名声を手に入れる!
しかし、そんなタルタリアでしたが、言葉のハンデを感じさせないほどの才能を開花させます。
彼はなんと独学で数学を身につけていき、数学者になりました。
タルタリアの名前が知れ渡るのは、数学の試合でのことでした。
当時、ヨーロッパでは数学試合という文化がありました。
内容はシンプル。数学者がお互いに問題を出し合い、解けるかどうかを競うのです。
見事、相手が解けなかった場合、そして自分が解けた場合は賞金や名誉が手に入るという、数学者にとっての黄金時代だったわけですね。
その時代に最も名をあげていたのが「フロリド」という人物でした。
フロリドは、”三次方程式を世界で一人解決できる男”として有名でした。
三次方程式の解の公式を、一番最初に発見したのは「フェルロ」という人物です。その弟子がフロリドだったため、フロリドは解法を知っていたのですね。
フロリド一強の状況。
そんな状況もついに終わりが訪れます。
1535年に、フロリドが数学の試合で敗北したのでした。
誰がフロリドを打ちまかしたのか。そう、タルタリアです。
その結果、タルタリアは数学者としての名前を広めることになります。
ちなみに、フロリドはなぜ負けたのか?タルタリアはなぜ勝ったのか?
それはタルタリアの解法の方が、フロリドよりも優れていたからです。
タルタリアはなんとどんな三次方程式をも解決することができる、普遍的な公式を完成させていたのですね。
フロリドも解の公式を持っていたのですが、タルタリアの方が一枚上手でした。
こうして、三次方程式の覇者としてタルタリアは一躍有名になるのでした。
解の公式の秘密が明かされ、業績を横取りされる
有名になり、幸せ。も束の間。。。
いろんな人から「どうやって解いたんだ!?」と頼み込んでくる人が相次ぎます。
その中には、優れた数学者の一人とされる「カルダノ」もいました。
しかも、このカルダノ、めちゃくちゃしつこくタルタリアにお願いしたそうです苦笑
タルタリアもついに根負けし、解の公式を教えることに。
しかし、タルタリアはカルダノに条件を出します。
「教えるかわりに、これは誰にも言うな。自分が今書いている本で解の公式を公表するまでは、口外しないこと」という内容でした。
カルダノはそれを承知。
結果、カルダノは自身が出版した書籍で、なんとタルタリアから聞いた解の公式を発表してしまうのです。
カルダノの不義理さは半端ない
それを知ったタルタリアは激怒。
カルダノに数学の試合を申し込みのですが、カルダノの弟子に敗北してしまいます。
こうしてカルダノはタルタリアに業績を横取りされてしまったのでした。
以上がタルタリアの生涯です。
幼少の出来事、業績の横取りと辛い出来事の多い人生にように思われます。
しかし、タルタリアはそんな逆境すらも跳ね返す、数学会随一の努力家と言えるのではないでしょうか。
タルタリアの業績
これからはタルタリアの業績をご紹介します。
三次方程式の解の公式を発見
タルタリアの一番の業績はやはり「どんな三次方程式も解ける、解の公式」の発見でしょうか。
確かに一番最初に三次方程式の解の公式を発見したのは、フェルロという人物です。
しかし、それをさらに普遍的に、どんな三次方程式でも解決できる解の公式へとブラッシュアップしたのはタルタリアです。
この発見によって、数学者は三次方程式でなく、四次、五次、それ以上の方程式への関心を持つようになりました。
そして、さまざまな著名な数学者がのちに、いろんな研究を残していきます。
タルタリアは更なる方程式への追求の道を切り拓いたパイオニアなのです。
弾道学についての研究
あまり知られていませんが、実はタルタリアは弾道学について造詣がありました。
具体的には、大砲を撃つ際に、どの角度が一番遠くへ飛ぶのか?という研究です。
タルタリアは、角度45度で大砲を撃つことで、一番遠くへ発射できるということを、初めて論理的に証明した人物でもあります。
この理論は弟子であるリッチに伝わり、さらにはガリレオガリレイにも伝わったのでした。
ガリレオの力学の研究に影響を与えた人物の一人でしょう。
まとめ
今回は、数学者タルタリアについて解説しました。
とても波乱万丈な人生でしたが、そんな中でも独学で数学の才能を発揮した努力家です。
三次方程式の解の公式、弾道学と数学、物理学の発展にとても大きな影響を与えました。
以上でタルタリアの解説を終わります。