数学、賭博、医者…!?変人奇人の天才パラレルワーカー!カルダノの人生と業績

どうも、丸田です。
今回は中世に活躍した数学者、カルダノについて紹介します。

カルダノはとにかく変人奇人

しかし、その頭脳は天才的で、複数の仕事を掛け持ちし、あらゆる分野で突出した業績を残しております。
ときに医者、ときに占星術士、ときに哲学者、ときにギャンブル、そしてときに、数学者。

変人、嫌われ者、しかし天才という絵に描いたイヤミな科学者みたいなカルダノですが…笑
果たしてどんな人生を送ったのでしょうか。

今回は、カルダノの生涯とその業績をご紹介していきたいと思います。

目次

カルダノの人生

ではこれから、カルダノの生い立ちや生涯を紹介していきます。

父の影響を受け、才能を発揮する

舞台は1501年頃のイタリア。
ジェロラモ・カルダノはイタリアのパヴィアにて生まれました。

彼が数学に目覚めるのは、時間の問題で、カルダノの父ファツィオはミラノで成功した法律家であり、幾何学の講義をする有名な数学者でもあったのでした。

その知名度は高く、かの天才レオナルドダヴィンチと親交を深めていたそうです。

ですので、父の影響を受け、カルダノは数学に目覚めます。

奇しくも、タルタリアとほぼ同年代。
カルダノとタルタリアの出会いは運命だったのかもしれませんね。

その一方で、カルダノの父は断食して9日目に亡くなったと言われる変人でもありました。
その影響を受けたのかどうかは定かではありませんが、カルダノも超変人に育っていきました。

ちなみに、カルダノは自身について語った自伝「我が人生の書」にて、

「ずる賢く、巧みで、皮肉やで、勤勉で、生意気で、哀れで、不誠実で、魔法使いで、魔術師で、みすぼらしくて、不愉快なやつで、好色で、卑猥で、うそつきで卑屈である」と書いていました。

また「つねに怒りっぽく、一つのことに集中しがちで、女性にもてるタイプである」とも語っております。

自分でそう言っちゃうところ変わってますねぇ…笑

カルダノは数学者として知られていますが、本業は「医者」。
時に数学したり、ギャンブルを嗜んだり、占星術で自分の寿命を予言したり、哲学したりと、とんでもないパラレルワーカーなのですね。

今の時代を先取りしたかのようなライフスタイルを送っておりました。

医者をしながら毎日ギャンブルにのめり込む

彼は医者として働いておりました。

しかし、カルダノは仕事で稼いだお金を毎日ギャンブルに使い込んでいたという、情けない話があります。

「いやいや!ギャンブルで生計を立てる立派なギャンブラーもいるんだぞ!」と反感したくなる気持ちもわかります。
しかし、カルダノの場合は悪質で、自分のお金だけでなく、親族の財産までも彼のギャンブルにかけるお金に吸い込まれていってしまいました。

しかも、カルダノは一度事件を起こしており、ギャンブルで不正を疑われた時、持っていたナイフで相手を傷つけたという話まであります。

いかに破滅的な生活を送っていたかがわかりますね。

数学業界に影響を与えた「アルス・マグナ」を出版

そんなカルダノですが、一躍有名人になりました。

それが「アルス・マグナ」という本を出版したことでした。

この本は方程式の解法をまとめた本で、数学界に衝撃を与えます。

というのも、その時代には知られていなかった「三次方程式の解の公式」が記載されていたからです。

ちなみに、当時は会計学の父と呼ばれる「パチョーリ」という数学者がおりました。
パチョーリはあまり知られていない名前ですが、実は現代の複式簿記の体系を作った超すごい人物です。

パチョーリは、出版した自身の本「スムマ」に、「三次方程式の一般的な解法は存在しない」と記載して発表したのです。

そんな超すごい人物が「ない」と断言した解法が、カルダノの本に記載されているわけです。
これは業界に激震が走ったことでしょう。

こうして、カルダノは三次方程式の解の公式の発案者として有名になったのです。

三次方程式の解の公式でトラブルに…苦笑

しかし、なんとここでトラブルが生じます。
なんと同年代ぐらいの数学者「タルタリア」がカルダノの本に激怒したのです。

これによりカルダノとタルタリアの論争が始まります。

とはいえ、これはほぼ9割ぐらいカルダノが悪です笑

というのも、三次方程式の解の公式を完成させたのは数学者タルタリアです。
そして、その解の公式を教えてくれとしつこくお願いしたのがカルダノなのですね。

仕方なくタルタリアは公式を教えますが、条件を付けました。
それは「タルタリアがこれから出版予定の本に、三次方程式の解の公式を載せるから、その本が出版されるまでは誰にもいうな」という内容です。

要は、チクるなよってことですね。

カルダノはこの条件を承諾したにも関わらず、自分の出版した本の中にその解の公式を発表してしまうのですね。
当然、タルタリアはまだ出版していないタイミングです。

よってタルタリアはカルダノに激怒し、論争に発展したのですね。

カルダノお前なんでそんなことやったんだ?

と疑問に感じることでしょう。

少しだけカルダノとタルタリアの論争の原因を考察してみたいと思います。

なぜカルダノとタルタリアは論争に至ったのか?少し考察

側から見ると、どう考えてもカルダノが悪いと思います。

しかし、さまざまな資料を見ていくうちに、これはもしかしたらカルダノの勘違いの可能性が浮上するのです。

タルタリアは「今しゃべった解の公式は誰にも言うなよ」と言いました。

カルダノは「わかった。今聞いたことは言わないよ」と言ったのかもしれません。

しかし、実は三次方程式を一番最初に発見したのは「フェルロ」という数学者だったのです。
タルタリアはそのフェルロの発見した解の公式をブラッシュアップしたのが本当のところです。

なので、カルダノは自身の書籍には、「三次方程式の解の公式について」をフェルロとタルタリアによるものであると記載していたのですね。

つまり、自分の本の中には、あくまで「自分が見つけたよ」というよりは、「こんな人がこんな考えあるよ」というニュアンスで発表していたのです。

ですので、カルダノ視点からすれば「タルタリアから今聞いた話は伏せるけど、フェルロの話ならいいよね」ぐらいの捉え方だったのかもしれません。

これが論争になったきっかけかなと考察しております。

ですので、カルダノが100%悪いというよりは、実は認識の違いの可能性もあるのですね。

カルダノも憎めねぇ奴だな…

財産を全て失い、さらに投獄…

この当時は、カルダノは数学だけでなく、医者としても地位を確率しておりました。

世界で最も偉大な医者とされていました。

しかし、悲劇が起こります。

それはカルダノの妻の死でした。
さらに追い討ちをかけるように、カルダノの息子がとんでもない金銭トラブルに見舞われるのでした。

カルダノの息子もお金のトラブルを頻発するタイプだったそうなのですが、息子が自身の妻を毒殺してしまいました。その罪により、賠償金を支払う羽目になりました。

カルダノもお金の工面をしましたが、必要なお金を集められず。

結果、長男は処刑されてしまいました。

カルダノも全財産を失ってしまったのですね。

結果的に、妻、息子、お金の全てを失ったカルダノ。

再び自身の名声を高めようと、再度本を出版します。

しかし、、、カルダノが出版した本はキリスト教を冒涜する本だと認識されてしまい、投獄されてしまったのでした…。

なんとか釈放されたのですが、晩年にしてゼロからの人生スタートとなったのでした。

占星術士らしい最後

カルダノの最後は実に占星術士らしいです。

というのも、自分がいつ寿命を迎えるのかを予言しており、その日に亡くなっているのです。

「え、すご!」と思うかもしれません。
しかし実は、一部の説としては、自分の占星術の信憑性を高めるために、自死したという話もあります。

「いやいや、じゃあ予言なんてするなよ」と思いますが、超変人カルダノならやりかねません…。

以上が数学者カルダノの生涯でした。

驚くべきカルダノの業績について

カルダノの業績をご紹介します。
カルダノの業績は実に多岐にわたります。

三次方程式の解の公式を世に広める

カルダノは三次方程式、および四次方程式の解の公式を世に発表しました。
タルタリアとの約束を無視して解の公式を発表したのはマズイですが笑、実はカルダノの行ったことは革新的でもありました。

というのも、今までの数学者は弟子にだけ発見を教えるか、自力で見つけた公式だけを本で公表することがメインでした。

しかし、人から聞いた話をベースに研究や定理を発表することはレアケースなのですね。

確かにカルダノはタルタリアとの約束を破ったことは不義理ではあります。
しかし、公表されたことで数学の研究が進んだのも事実です。

特に方程式に関しては非常に飛躍的に発展した経緯があるので、そういった意味ではカルダノは割とグッジョブなのかもしれません笑

ちなみに、カルダノの弟子フェラーリが四次方程式の解の公式を発見したことにより、これも話題になりました。

虚数を初めて導入

数学には、存在するかしないか疑わしいと都市伝説でお馴染みの「虚数」が存在します。
(実際は、虚数は存在します。)

虚数といえば、2乗すれば−1となる不思議な数ですが、この虚数を初めて取り入れたのはカルダノなのです。

こんな奇抜な発想ができるのも、変人カルダノだからこそなのでしょう。

趣味が数学に転じる!?確率論のパイオニア

カルダノは数学だけでなく、実はギャンブルや賭博に没頭しておりました。
チェスは40年以上。サイコロ遊びは25年ほど遊んでいたそうです。

その結果、財産を失うハメになりました。

「オイオイ、そんな運に任せたギャンブルなんて、数学者かよ!」と思うことなかれ。
カルダノはなんと、そのギャンブルすらも数学的にアプローチしようとしたのです。

まぁ負けてたら元も子もないけどな…。

これは後に「確率論」という学問として発展していき、天才フェルマーやパスカルへの研究にも繋がっていくのですね。

ちなみに、確率が発展したことで、世の中の現象や%を表現できるようになっていると考えると、賭博師カルダノもやるやん!と思いますよね笑

ギャンブルに投じた挙句、彼が残した言葉は「ギャンブラーにとっては、全くギャンブルをしないことが最大の利益となる。」です。

なんだそれ…。

チフスの発見で医者としての貢献も!

忘れていませんか。
カルダノは数学者ではなく、本業は医者です。
医者としても非常に優秀な業績を残しております。

その中でも有名なのは「チフス」の発見です。

その他にもアレルギーの発見や痛風の治療法も確立したのですね。

その功績が認められ、ミラノ医師会の会長になったのでした。

カルダノの生涯と業績について まとめ

今回は、数学者カルダノについてご紹介しました。

彼の歴史を調べると、業績横取り事件が目立つわけですが笑
数学だけでなく、ギャンブル、医療と非常に素晴らしい業績を残しているのですね。

またカルダノが解の公式を発表してくれたおかげで、更なる数学の発展にも繋がりました。

そんな多彩な才能を持った変人奇人のカルダノ。
ぜひ興味があれば、いろいろと調べてみるのも面白いかもしれません。

カルダノの詳細は書籍「わが人生の書 ルネサンス人間の数奇な生涯」を参考にしてみるとより分かるかもしれません。

ではカルダノの紹介は以上で終わります。

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