どうも、丸田です。
「いやぁ〜、今まですごく勘違いしていたなぁ」と感じたことがありまして。
それは「正しさが正しいとは限らない」ということです。
僕は正しいことが良いことだと思っていたのですが、必ずしもそうではないということを気付かされたのですね。
ということで、この記事はなぜ僕がそう思い込んでいたのか?どうすれば良いのか?を自己分析した内容を綴って参ります。
正しさが正しいとは限らない
まずそもそも僕は本質を考えるようにしています。
これまでコンサルティングも、ビジネスも、専門学校でも本質的なことを考えたり、正しいことを伝えようと常に意識してきました。
そして今もその姿勢です。
しかし、ある時、気づいたのです。
「正しいは正しいとは限らない」ということに。
最近、塾で勉強を教えるようになったのですが、数学を教えていました。
明らかに正しい説明をして、論理的に解説しても、いまいち理解されず。
一方で、説明になっていない感覚的なイメージな説明をすると理解してもらえたということがありまして。
その時に、僕は「正しく伝えれば、伝わる」と思ってしまっていたことに気づいたのです。
しかし、そうではない。正しく伝えることはもちろん大事ですが、それはあくまで伝え方の1つです。
他にもいろんな伝え方はたくさんあるのです。
例えば、絵を書いて伝える。
少し内容を盛って伝える。
ジェスチャー交えながら伝える。
などなど。
内容を盛るのは、もちろん盛り過ぎはマズイですが、伝えるためには多少の脚色は問題ないでしょう。
と、そんな感じで、本来なら伝え方もいろいろあるのに、僕はいつの間にか「正しく伝えないといけない」と思っていたようです苦笑
つまりは、手段が目的になっていたわけですね。。。
本質一歩手前でも誰かの役に立てる場合もある
僕が本質を考えまくるがるが故、本質絶対主義みたいになっていたみたいです笑
なので、本質的なことを学んだり、教えたりしなければ意味がないと思ってしまっていました。
そして、それを無意識に他人にも強要してしまっていたようです。
もちろん、自分自身の中で、本質を常に考える意識は持ち続けようとは思っています。
しかし、人のよっては本質一歩手前でも十分過ぎるほどの価値があるんだという視点もしっかり持つべきだとも感じます。
本質手前とは、例えば何か学問を学ぶ場合、専門書もありますが、漫画でザックリわかるようなライトな書籍もあります。
おそらく本格的な学問を学ぶ際は、漫画でザックリ系は向いていません。
きっとその学問の本質的な部分を伝えるのは不可能でしょう。
しかし、その漫画でザックリでも学びたいという人や、漫画で軽く知っておきたいという人にとっては、それが価値なのです。
逆に専門書のような本格的なものはオモイんですよね。
お腹いっぱいの状態でパンケーキ食べるようなものですw
自分が本質を追求するからといって、決して全員が本質を求めているわけではないと理解しました。
これは意識しておかないといけないですね。
正しさとは、自分と相手でつくるもの
まぁそもそもな話、正しさなんて存在しないんですよね。
正しさも基本は多数決的に決まりますし、時代によっては正しいことも正しくないとされることもあるのです。
そう考えれば、一方的な正しさを盲信するのは危険ですらあります。
じゃあどう考えるかと言えば、正しさは、自分と相手でつくるものだと意識すると良いでしょう。
自分が思う正しさ、相手が感じる正しさを理解し、その共通項の部分こそが、一番伝わるポイントです。
その結果が、本質とは言い難いものだとしても、それで相手にとって良くなればそれで良しです。
(※明らかに本質からかけ離れたものや、悪質なものはNG)
時には面白く、ユーモア的に、ライトな感じで、考えることもまた大事だな、と気づきました。