数学を通して学んだ「正しい学びの作法」

学びの極意

どうも丸田です。
数学者のもとでマンツーマンで数学を学び始めて、はや2ヶ月が経ちました。

感想としては、

あぁ!なんて数学は美しいんだ〜〜!

てなもんです。真面目に。

ちょっとテキストだとね、全然熱量が伝わらなくて、くちびる噛み締める思いですが…笑

でもやっぱり「数学って、不思議な法則にしたがっているんだなぁ」という奥深さを感じているんですよねぇ。

と、数学を学ぶ前と後で180度ぐらい価値観変わった僕ですが、今回は、数学を通して気づいた「学びの極意」をシェアします。

目次

正しい学びの極意とは…

学びの極意

それは「無我の境地」に至ることです。

と、、、カッコよく言いましたが、簡単に言えば「自分なり」をいかに捨て切ることができるかが重要なのです。

例えば、「学んだことを自分なりにこう考えたら、、、」とか、「これってきっとこういうこと言ってるんだな!」とか、、、そういうことは一切考えない。

学んだことが全てで、それ以上でもそれ以下でもないという意味です。

僕の話を少しすると、今学んでいるのは「実数論」という内容です。
要するに、数字とはなんだろう?という非常に初歩な内容です。

マルタ

かっこよく言えば、小・中・高の算数、数学を再定義しているのです!

0とは何か?1とは何か?数とは何か?
0は1つしかないのか?1は1つしかないのか?足し算とは何か?掛け算とは何か?などを追求していきます。

んで、、、僕が一番試されることは、「今まで培った数学をいかに捨て切れるか」です。

内容自体は難しくはありません。
定理を証明していく中で多いのが、1+0=1みたいな、簡単な数式です。

なので、「計算超楽勝じゃん〜」なんて思ってしまうのですが、そんな中、極限まで僕は数学の知識を捨てて、初めて数学を知るような気持ちで定理と向き合う必要があるのです。

つまり、1+0はなぜ1になるのか?をちゃんと説明する必要があるということです。

そう考えることで、数学が何をやっているのか?が本当の意味でわかったんですよね。
それと同時に、先生が伝えたかったことも理解できました。

その結果が「数学美しぃ〜〜!」という感想なのです。

美しい

「あぁ、これが学びか。」と感じたわけです。

ですので、その体験を通して分かったのは、学びには自分を捨てたいわば、「無我の境地」が大切だということです。

学びを妨げる「自分なり」

以上が、僕の経験ですが、さらに言いたいのが「自分なりの考え」は学びを妨げる可能性が高いということです。

一般的には、「自分で考えることが大事だ!」と言われると思います。
しかし、学びに関しては、自分で考えることを放棄した方が良いでしょう。

というのも、「守破離」という言葉があるからです。

守破離

あなたは守破離という言葉をご存知でしょうか?

この言葉は、茶道や武道などにおける師弟関係のあり方の一つとして知られていますが、全てにおいて通じる大切な概念だと考えております。

「守破離」とは、教えを守る、破る、離れるという意味です。

最初は、教えに素直に従い、基礎を培う。
基礎ができたら次は破る。つまり自分なりを取り入れる。
そして、離とは独立するという流れです。

これが正しい学びの身につけ方なのです。

逆に、この流れに逆らうと何かを習得することはできません。
仮にできたとしても中途半端になりがちです。

例えば、基礎を疎かにして、最初からオリジナルを取り入れるとしくじる可能性があります。

イメージするなら、どんなに外見が派手な家でも基礎がボロボロだとすぐに倒壊してしまうみたいな感じです。

特に「守」における基礎がめちゃくちゃ大切で、この基礎こそが自分の学びの深さに関係してきます。

ですので、この学びの過程、特に最初の守の段階において、「自分なりの考え」は学びの効果を阻害する可能性があるということですね。


ちなみに、学びとは何かというと、自分の視点を高めることだと考えます。
何を学んだからすごいとか、知識の優位性ありません。また知識を身につけたかどうかも重要ではありません。

自分の視点を高め、気づきを得るのが学びのゴールだと思っています。


そして、視点を高める最も最高な方法として達人から学ぶのです。これが最も効果が高くてラク。

逆に自力で上り詰めようとすると結構キツイ上に、あまり学びが得られない可能性があります。

例えるなら山。
僕がいる山から見える景色と、数学の先生がいる山から見える景色は違います。

僕がどれだけ背伸びをしてもどれだけ想像力を働かせても、絶対に見えない景色が先生には見えているんですね。

見える景色が全然違う!

知識、経験、研究成果などなど違いすぎます

だからこそ、僕は先生の言葉を一語一句聞き逃さず、しっかり受け止めるよう努めています。
そして、先生の「こうした方がいいよ」や「こう考えたほうがいい」と言われたら、素直に従います。

この際、くれぐれも「自分はいいかな」「自分には必要ない」なんて考えはしません。

「自分ならこう考えるかな〜」とか、「自分はそれ向いてないわ」なんて思ってしまおうものなら、学べるものも学べないですからね。

当たり前に聞こえるかもしれませんが、案外自分流で考えてしまうケースはちょくちょくあります。

僕がマーケティング業をやっていた頃も、やっぱり結果を出す人ほど素直で謙虚なんですね。

逆になかなか結果が出ない人ほど、我流がすごい…苦笑

自分なりの視点ではなく、人の視点に従い、その人の視点で物事を見ることが大事。

僕の場合は自分なりに数学をやってみて、理解が進んでいない感覚があったので、先生の指示はすべてそのまま聞き入れます。反論もしません。

深く学ぶなら、我流を捨てる。
これとても大切なのですね。

これは数学に限らず、ありとあらゆる分野でも共通すると考えます。

内面ギャップを埋めていく

とは言え、僕が唯一「自分なり」を使う場合があります。

それは、内面ギャップを埋めるためです。

どういうことかというと、
例えば、「この定理を自分なりにこう解釈したのですが、どうですか?」みたいな質問をよくします。

これは自分なりに考えて質問します。

なぜそのような質問をするのかというと、自分の認識と先生の認識を合わせるためなのですね。

守破離で守の「真似」が大切だと説明しました。

「じゃあ何を真似するのか?」これは表面だけでなく、目には見えない内面の部分も真似します。
※むしろ目には見えない部分が9割ぐらい重要です。

例えば数学を学ぶ時、先生が教えてくれる数式をそのまま真似すれば、先生と同じ式を書くことはできます。

でもこれで数学を学んだのか?というとそうではなく、ただ行為を真似しただけです。
それでは視点は高まりません。

先生がその数式、定理からどんな情報をどれぐらい読み解いているのか、またどう解釈するのか?なぜその定理を考えたのか?という、見えない部分まで真似することが大切なのです。

だからこそ僕は、「自分なりにこう解釈したのですが、どうですか?」と尋ねるのです。
そうすれば、「それはおっしゃる通り」、あるいは「違います」と、教えてもらえます。

その時、初めて自分の思考と先生の思考のギャップが理解でき、そのギャップを埋めることができるのです。

自分なりに考えたことも間違っていたなら、その考えは捨てる。執着しない。これ大事です。

この内面ギャップを埋めるのは、もちろん数学だけじゃなく、あらゆる学問、学びにおいて大切です。

このような経緯を通して、自分と先生との思考のギャップを埋めて視点を高くしていくのですね。

学びの作法 まとめ

ということで、今回は数学を通して学んだ「学びの極意」をシェアしました。

もちろん、ある程度は自分で考えることも重要です。

しかし、本当の意味で何かを学びたい!と思ったら、自分の意見は捨ててまずは素直に聞き入れる姿勢がとても重要じゃないかなと感じております。

何か学んでいても、身になっていない…そんな感覚があるなら、ぜひ今回の内容を参考にしてみてください。

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