数学を学ぶ意味とは?実生活にどう役に立つのか?ということについて

数学を学ぶ意味とは

どうも丸田です。
今回は「数学を学ぶ意味とは?実社会にどのように役立つのか?」をテーマに解説していきます。
(※あくまで僕自身の結論であることをご了承ください。)

数学って学んだら何の意味があるのですか?
具体的にどのように役に立つのですか?

そんな疑問を感じたことはないでしょうか?

僕自身、「何やってるのですか?」と聞かれて「数学です」と答えた時に、「数学はどんな役に立つのですか?」とよく聞かれます笑

それぐらい数学はミステリーなのでしょう。

「数学が役立つのかどうか?」は立場によって異なります。

シンプルに科学者や研究者、あるいは技術者であれば数学は必須です。
微分積分や線形代数、確率といった知識をフルに使う必要がありますね。

しかし、一般的には、目に見えて専門的な数学を使う職業は少ないと思います。
(根底には数学的な考え方が使われている、というのは除きます。)

今回は、一般的に数学を使わない人に向けて、「数学はどう役に立つのか?」を解説していきます。

目次

【結論】数学を学ぶことに意味はない

数学を学ぶこと自体に意味はありません。

これが結論です。

・・・ってちょちょーい!と思うかもしれませんが笑
正直これが全てかなぁと思います。

もちろん理由はあります。
というのも、数学はどんな意味があるか?よりもどんな意味を自分が見出すか?の方がはるかに大切だからです。

まぁこれは数学に限らず、他の分野でも言えることだよ、と思うかもしれません。

しかし数学は抽象度高い学問ゆえ、「特にどんな意味を見出せるか?」という側面が強いのです。

例えば、お店やっている人が「俺YouTube始めるわ」と言ったら、「なるほど!YouTubeで集客頑張るんだな」ってなんとなくわかりますよね。

一方で、頭良くなりたいと思っている人が「俺数学やるわ」と言ったら、「え?数学…!?お、おぅ…がんばれ…」みたいなリアクションになるんですよ。

つまり、数学をやる目的って見えづらいんですよね。というかむしろ見えないんです。

だからこそ、一般的に「エクセルを学ぶ」「プログラミングを学ぶ」、「インスタグラムを始める」、「絵を書く」みたいなものと違って、「数学をやる」って異質なんですよ…笑

事実、僕が最近学んだことは「無限にも大小が存在する」という定理です。

これめっちゃすごいんですよ!だって無限に大きいと聞くと、無限に大きな数を思う浮かべますよね!?
だけど、実は無限に大きな数字の中にも、小さい数、大きい数が存在するんですよ!?やばくないですか!?

…って、、、僕は興奮できますよそりゃ。笑
数学が好きですからね。

でもこんな事実を一般の人が知ったとしても「ほーん、で?」で終わりですから泣

ちなみに、個人的には数学を学んで「よかったなぁ〜」ことはたくさんありますよ。
「うぉ!この定理の証明ヤベェ美しすぎるだろ!」「昔の人は、よくこんな証明思いつくよな〜尊敬するわ。」

って思います。でもそれってあくまで僕の主観的な考えであって、「だからみんな数学学んだ方がいいぞー!」とはならないんですよね。

ということで、なんともドライな結論ですが、数学を学ぶ意味は特にないかなと。
数学は何の役に立つのか?というよりは、どんな意味を自分で見出せるのか?の方が大事だと思います。

もし抽象度高い数学の中から、自分の日常に生かせるナニかを見つけ出せるなら、きっと数学を面白いと感じるでしょう。

そもそも数学とは意味を取り除いた学問である

ただですね、「数学には意味がない」というのは僕の結論でもありますが、数学の目指した方向でもあるのです。

18世紀までは数学は、感覚的に考えられていた歴史があります。
しかし19世紀からは、そのような人間の感覚に基づいた思考体系をやめ、厳密なルール、記号に基づいた論理の学問として再構築されたのですね。いわば人間から切り離した学問としての独立を目指したのです。

これは現代数学の始まりと言われており、数学者コーシーやヒルベルト、ノイマンなど名だたる数学者たちが先人を切って進めました。

なぜ直感に基づいた思考体系をやめたのかというと、究極の真理を追求するためです。

いつの時代も人は間違えます。それゆえ何が正しくて何が間違いかが分かりにくくなってしまうこともあります。

特に昔は国王が全てでした。国王が正しければ正しい政治、あり方、社会が築かれます。

しかし、一方で国王が腐敗すれば国も腐ります。

そんな時代を経験したからこそ、絶対的な正しさを追求する文化がありました。

そのため、人間の感覚ではなく人間とは切り離された論理として数学は再構築されたのですね。

つまりは数学自体は、社会的に役立つかどうかわからない記号ルールに則った思考ゲームと言えるのです。

強いていうなら「好奇心」

さすがに無味乾燥な結論だったなと思ったので、なんとか数学を学ぶ意味を探してみたところ、強いて言えばこれだろうというのがあります。

それは「好奇心」を磨けること。

現代において無意味なことって避けられがちですよね。

仕事でも何をやるにも理由や根拠、データが必要です。また「コスパ」や「タイパ」を意識した考えも流行っています。そのように全てにおいて理由や根拠があることを現代では「有意義」と呼ぶようです。

もちろん、意味ある行動は大事ですよ。でもそんな生活が長くなると、いつの間にか「ただやりたいことをやる」という子供のような感性が失われてしまうことも確かです。

そのような感性を磨くという意味では数学は一役買うかもしれません。

PS.意味がなければダメなのか?

「意味がないなら、やる意味ないじゃん」は、少しナンセンスだと考えます。

というのも、「そもそも意味がないことはダメなのか?」という話ですがそうとは言い切れないからです。

社会的に、「何をするにしても絶対に人の役に立たなければダメなのか?」というと決してそんなことはありません。

例えば、モナリザ。

レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた有名な絵ですよね。

確かに絵の美しさが多くの人の心に感動を与えたかもしれません。しかし、直接的に我々の人生に良い影響を与えているのか?と考えるとそうではないですよね。

レオナルドダヴィンチは「モナリザを書くことに意味がある」と考えて書き上げたのでしょうか?

おそらく描きたかったから描いただけではないでしょうか。

モナリザが世界的価値を見出されたのは、モナリザが完成した後付けで、いろんな人がその絵を美しいと感じ、意味を添えたのではないかと思うのです。

「意味があることしかやらない」という自分の方針を定めるのは自由です。
しかし、「意味がないならやる意味はない」というのは芸術やアート、映画や漫画すらも本来は必要ないと考えられるのですから。

意味がないこともやる価値はあるのです。

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