どうも、丸田です。
少し前に、記事「センスオブワンダーを数学的に考えてみた」にて、とある意見をいただきました。
※以前書いた記事
センスオブワンダーを数学的目線で解説する【数学徒然草】
いただいた問いは以下の通りです。
2名の患者の治療効果を、“アンケート用紙”を使い、評価する際…
AさんもBさんも同じ結果だとした場合…
『治療前』3:かなり痛い
『治療後』1:少し痛い数直線上では、『2ポイント痛みが減少した』と評価されたとき…
AさんとBさんの2ポイントの距離は!
“等間隔”と果たしていえるのか?
おお〜!鋭い視点ですね〜。
おかげでワクワクしながら考察できました笑
いただいた方は福祉系のお仕事をされているらしく、その分野ならではの着眼点ですよねぇ。
この問いに関して、僕なりの結論が出たので、綴って参ります。
結論
AさんとBさんの2ポイントの距離は等間隔ではない、しかし距離比は等間隔だと思います。
(ややこしくてごめんなさい泣)
ということで、その根拠を説明していきます。
※今回の記事は、Aさん、Bさんではなく、第三者から見た視点での考察です。
【この記事における前提】言葉の成り立ちと距離の定義
説明に入る前に、まずはいろいろと準備的な話をします。
言葉の成り立ちについて、これはあくまで僕なりの見解ですが、
言葉は{記号×ニュアンス}によって構成されていると考えております。
記号とは、文字や音で理解できること。
ニュアンスとは、体験やその時の感情によって得られたものです。
図にするとこんな感じ。
例えば「あの人優しいよね」の「優しい」という言葉には、その表現そのものだけでなく、「あの人優しいよね」と発した人自身が過去優しさを感じた時の感情や体験、記憶が統合されたニュアンスも含まれているということです。
つまり今回のケースの場合、
Aさんが発する「痛い」という言葉には、記号としての「痛い」と、その奥にあるAさんの体験と感情によって込められたニュアンスが存在すると考えます。
これらの言葉の成り立ちを説明したところで、距離の定義を考えていきます。
AさんとBさんの2ポイントの距離は!
“等間隔”と果たしていえるのか?
この言葉から考えるに、
今回の考察における痛みの距離とは、「痛いという言葉に含まれるニュアンスの差」であると仮定できます。
ですので、その仮定を前提に、僕の考えを綴って参ります。
痛みの距離が等間隔ではない理由
AさんとBさんの痛みが等間隔ではない理由を綴っていきます。
とはいえ、シンプルに言ってしまえば、
Aさんの「かなり痛い」とBさんの「かなり痛い」は記号・表現は同じですが、ニュアンスが違うので距離も同じではありません。
というのも、Aさんの体験とBさんの体験は違うからです。
同様に、Aさんの「少し痛い」とBさんの「少し痛い」も言葉は同じですが、ニュアンスは違います。
もし等間隔であると言えるなら、このニュアンスに差がないと言えます。
しかし、ニュアンスが同じということは同じ体験をしている必要があります。
ですが、もちろんAさん、Bさんは同一人物ではないので、同じ体験をしていることはありません。
よって、
AさんとBさんの治療効果を、“アンケート用紙”を使い、評価した場合
『治療前』3:かなり痛い
『治療後』1:少し痛い
と同じ結果だったとして、数直線上では、『2ポイント痛みが減少した』と評価されたとき…
Aさんから取り除かれた痛みとBさんから取り除かれた痛みのニュアンスは違います。
よって痛みの距離が等間隔ではない、と結論づけます。
痛みの距離比が等間隔な理由
しかし、これはAさんとBさんの痛みの距離比で言えば、等間隔だと考えられます。
なぜなら、
Aさんの痛みのニュアンスはAさん自身が「痛い」と感じた経験の中にある痛みの最大値・最小値から比較されて導かれるからです。
同じく、
Bさんの痛みのニュアンスもBさん自身が「痛い」と感じた経験の中にある痛みの最大値・最小値から比較されて導かれると考えられます。
どういうことか。
例えば、「今日はなんか調子悪いなー」と感じたとした場合、
この「調子悪い」はどこからやってくる概念なのかを考えた時、「調子が良い」状態との比較によって生まれる概念だと考えることができます。
他にも、僕がギックリ腰になったときも「だいぶ良くなってきた」と思ったタイミングがあったのですが、
この「だいぶ良くなってきた」というのは、「痛みのピーク時と比べるとだいぶ良くなった」という比較で生まれた概念です。
今回のケースで考えた場合、
Aさんの「かなり痛い」という言葉のニュアンスは、ピーク(=痛みの最大値)に近いか、あるいは、ほぼ痛みがない(=痛みの最小値)と比較して生まれたニュアンスだと思います。
そして、「少し痛い」という言葉のニュアンスは、ピーク(=痛みの最大値)に近いか、あるいは、ほぼ痛みがない(=痛みの最小値)と比較して生まれたニュアンスだと思います。
Bさんにも全く同じことが言えると思います。
つまり、「痛い」という言葉のニュアンス自体は違いますが(=等間隔ではない)、
Aさん的にどれぐらい痛みがなくなったか?Bさん的にどれぐらい痛みがなくなったか?という距離を比率で考えた時に、これは等間隔になるだろうと思います。
※例えば、AさんBさんそれぞれの最大・最小の幅を両者100に設定すれば比率にできる。
以上より、僕なりの結論は
AさんとBさんの2ポイントの距離は等間隔ではない、しかし距離比は等間隔だと思います。
という感じで、少し思考ゲームで終わってしまった感があるのですが、少しだけ僕なりの考えを付け足してみたいと思います。
【補足①】寄り添いとは、ニュアンスの理解
痛みの距離比は同じであると僕が考えるので、
よくあるサービスのアンケート用紙の評価の数値自体はおそらく信憑性が高いのではないかと思います。
とは言え、それで顧客の理解ができるかと言われれば不十分ではないでしょうか。
そう考えると、顧客一人一人へ寄り添うためには言葉の奥にあるニュアンスの理解が必要だろうなと感じました。
その人がどんな体験をし、どんな感情をし、何を思ってきたのか。
その人自身のエピソードの理解がニュアンスの理解につながると思います。
【補足②】言葉は居場所をつくり、安心に変わる
僕個人の考えですが、「言葉は居場所をつくる」と思います。
例えば、一昔前なら社会のルールに沿っていることが良しとされていて、一方で変人や変わった人、ルールに適合できない人は、不適合者扱いされる、なんて時代もあったかと思います。
ですが、最近は「多様性」や「ダイバーシティ」などの言葉が現れたことによって、適合できない人の居場所が生まれたのではないでしょうか。
それが長い目で見て良いかどうかは判断できませんが、少なくとも何かしらの安心感はあると思うのです。
あるいは、原因不明の痛みが数ヶ月続いた。検査したら炎症だった。
みたいな、原因不明の何かも、その対象に言葉が与えられることで対処法が分かり、少し冷静になれる、
みたいなこともあるかと思います。
例えば一部ですが、少なくとも人も時代も、言葉によって居場所ができ、安心を手に入れていたんじゃないかなーと思うのです。
言葉にする、してもらう、それだけでお互いのどこか何かでは安心に繋がっているのかなぁと、ふと感じた次第です。
ということで、今回の考察は以上で終わりです。