数学を本格的に学び始めて感じたこと【数学徒然草】

数学を通して学んだこと

どうも、丸田です。
2023年の9月から、某国立大学の元数学教員の方からマンツーマンで本格的に数学を学ぶようになりました。

それまでは独学で勉強していたので、その頃に比べるとはるかに学びが深くなったなぁと感じております。

その中でも最も感じたこと、気づいたことを3つシェアします。

目次

数学は信仰が大切である

数学といえば、厳密な論理の世界だというイメージありますよね。
僕もありましたw

ですが、案外そうではなく、論理の一番最初は「これは認めよう。理由はないけど」からスタートします。

厳密に言えば、数学は「公理」から出発して「定義」→「定理」へと論理立てしていきます。

ポイントはこの「公理」というもので、これは「証明なしに成り立つ」と認めたものなのです。
定義は、公理から定めたもので、イメージするなら言葉の意味を厳密にする感じでしょうか。(ちなみにこれも証明不要)

定理の段階で、はじめて証明という名の根拠作りが始まるのです。

ということは、数学の緻密さというのは、「無条件に信じる」という信仰の上成り立っているというわけです。

そう考えると、数学も案外モロいのかもしれないと感じております。

ですが、信仰って何気に大事だなぁと感じます。

いろんなことが疑わしい時代に、何か1つ「これは信じる!」という確固たる軸を持つ重要性を感じました。

まさか数学を通して、信仰に触れるとは思ってもみませんでしたが、非常に大切な考え方の一つです。

数学は2神教である

数字は1,2,3,4,5・・・とは無限に存在しますよね。
しかし、厳密に公理で認められている数字は「0」と「1」しか存在しません。

他の数字はすべて0と1だけによって創られているのですね。

なので、これを比喩して「2神教」というわけです。

面白いですよねぇ。

違和感は神が与えたギフトである

これは先生から教えてもらった大事だなぁと感じた言葉です。

数学を学ぶうえで大切なことは、「理解したつもりにならないこと」ということ。

先生は常に「100%の理解、確信が大事だ」と、よく教えてくれます。

そのためには、些細な違和感に気づくこと、気づいたら解消すること。

これが大切だというわけです。

「何か間違っているとき、あるいは理解が100%に満たないとき、それは違和感というサインで教えてくれる。完全というのは神のみが持つ概念で人間にはない。しかし、間違いに気づける違和感は神が人間に与えたギフトである」

とのこと。

なるほどぉ!と首がもげるほど納得。
これは僕の中でも大切にしたい言葉の一つだなぁと感じております。

ということで、今回は以上です。

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