神童と呼ばれた天才数学者、科学者、思想家パスカルの生涯と業績

パスカルについて

今回は、数学の神童と讃えられたフランスの数学者、科学者、思想家パスカルをご紹介します。

パスカルは幼い頃から天才でした。
その天賦の才をあらゆる分野で発揮し、数学だけでなく、物理学、哲学、さらには発明、実業などでも大きく活躍しました。

いわゆる、オールマイティというやつです。

西武ライオンズの野村克也元監督が、田中将大投手に対して「マー君、神の子、不思議な子」と褒め称えたように、僕はパスカルを「パスカル、神の子、不思議な子」と讃えたい気持ちでいっぱいです。

さて、そんな神童パスカルは一体どんな人生を送ったのでしょうか。また数学にどんな業績を残したのでしょうか。

その詳細に迫ってまいります!

目次

パスカルの生い立ち

パスカルについて

裕福な家庭の奇妙な教育

パスカルは、フランスのクレルモン・フェランに誕生しました。

彼の父親エチエンヌは税務官であり、アマチュア数学者。裕福な家庭。

文句なしの幸せ一家です。

ところが、パスカルが3歳の頃に母親が逝去。

数年後、パスカル一家はパリへ引っ越すことに。

そんな幼少時代を過ごしたパスカルでしたが、特に印象的なのが教育方針でした。

父エチエンヌは「15歳になるまでは、数学を勉強するべきではない!」という奇妙な教育観を掲げていました。

その結果、パスカルは数学の勉強を禁止され、家からも数学書が全て取り去られてしまったのでした。

当時のヨーロッパは、数学は実社会に役立つ学問ではないという風潮があったそうです。

数学からどんどんかけ離れてしまうパスカル、一体どうなってしまうのでしょうか。

数学の才能が開花!

「ヤベェ教育方針だな!」と思ってしまいますが、この教育が結果的に、パスカルの才能を開花させることとなります。

人は禁止されると、知りたくもの。

会うことを禁止されたロミオをジュリエットがかえって恋心を燃え上がらせるように、数学を禁止されたパスカルもまた数学への好奇心を燃え上がらせました。


パスカルは12歳の頃、父にバレないようひっそりと幾何学の勉強を始めました。

まさに思春期!

「バレたら父上に怒られますぞ!」とハラハラしちゃいますが、なんと自力で三角形の内角の和が180°であることを発見したのでした。

独学で定理を発見すること自体がそもそも凄すぎる!

パスカルが持つ数学の才能を目の当たりにしたエチエンヌはきっと、「パスカル、神の子、不思議な子!」と感激したことでしょう(僕の勝手な妄想です)。

そして「ドンドン数学やれい!」と数学禁止を解きました。

パスカルは数学を教科書を読むことを許されたため、数学でも超有名なユークリッドの古典「原論」を読み始めたそうです。

ちなみに、この頃のパスカルは発明にも長けており、父の収税の仕事を助ける計算機を発明してしまいました。

「パスカリーヌ(別名:パスカリン)」と名付けて、「これ売れるんじゃね?」と思い、売ろうとしましたが、売れなかったそうです。

もしかしたら実業の才能はあまりなかったのかもしれません。

とはいえ、数学だけでなく発明にも才覚を見せ始めたパスカルは、今後もさらに活躍していくこととなります。

学会で注目され、数学への研究者の道を進み始める

父親エチエンヌはパスカルをメルセンヌ・アカデミーという学校の会合に連れて行きました。

ちなみに、メルセンヌアカデミーとは、数学者・物理学者として有名な科学者メルセンヌが開いたアカデミーです。

学会には、ガリレオ、デカルト、フェルマーなど世界的に有名な科学者が集う権威ある学会でした。

パスカルはわずか16歳で論文を書き上げ、その中でも有名な「円錐曲線についての論文」はメルセンヌ・アカデミーで発表されました。

10代の頃から、将来有望だったパスカル。家族の財産に支えられながら、その後もさまざまな数学や自然科学、そして宗教の研究に没頭しました。

数学者・物理学者としての新たな発見!地位を確立

パスカルは数学や物理において、いろんな発見をします。

数学で有名な発見は「確率」です。

「確率」といえば、現代社会において未来予測に欠かせない科学思考ツールですが、そんな現代にも通用する理論をパスカルは、大天才数学者フェルマーとともに発展させていきました。

そして、物理学で有名な発見は「気圧」。

気圧の単位はパスカル。
名前が単位になるぐらいの世紀の大発見です。

パスカルは「トリチェリの真空」という手法を使って、大気圧の存在を実証しました。

こうしてパスカルの数学・物理学のキャリアはさらに磨かれていくこととなります。

【関連記事】フェルマーについてはこちらの記事でも解説しております。
趣味「数学」を世界一嗜んだ天才数学者フェルマーの業績と生涯について

晩年は思想家へ。後世に言葉を残す

しかし、残念なことにパスカルは20代という若さにして病気になってしまいました。

それ以降、あれだけ没頭していた数学・科学への興味はしだいに薄れ、思想家として活動することが多くなりました。

一説によると、宗教的な論文を書くようになったそうです。

宗教にどハマりして、数学への関心は失ったのか?
宗教の中に真理を見出したのかは、パスカルにしかわかりません。。。


思想家として活動を始めて、今でも有名な本が「パンセ」です。

一言で言えばパンセとは、人間がどうすれば幸福になれるのかを綴った思想書です。

パンセで有名なのは「人間は考える葦(あし)である」という言葉。もしかしたら聞いたことあるかもしれませんね。

パスカルは晩年には、このような思想などを多く残していきました。

その後、病気が悪化。1662年、ついに39歳にして生涯を終えてしまったのでした。

39年という短い人生でしたが、その間に残した業績は計り知れません。

以上がパスカルの生い立ちでした。

ではパスカルは数学・自然科学においてどんな業績を残したのでしょうか。解説していきます。

パスカルの業績

パスカルの生涯短いですが、神童と呼ばれるに相応しいだけの業績を残しております。

それら業績の中でも特に有名な5つをご紹介します。

円錐曲線についての論文を完成させる

円錐曲線とは、円錐という図形を切った断面にできる曲線のことをいいます。

まぁ何のこっちゃって話かもしれませんが笑、円錐曲線は紀元前の数学者・天文学者アポロニウスという人物が大昔から研究し続けているという、数学において歴史の長い研究分野の1つなのですね。

パスカルはこの円錐曲線の性質を調べ、論文を書き上げたのです。

この円錐曲線とは、円錐をどのように切るかによって、断面の図形が変わります。その図形の変化の法則や規則性を調べたのですね。

パスカルは円錐曲線理論を世に公表することで、一気に注目を浴びるようになりました。

ちなみに、この時のパスカルは若干16歳。圧倒的才能!

パスカルの三角形を発見

中学のころに展開という概念を学びますが、こんな公式見たことありませんか?

\((x+y)^{2}=x^{2}+2xy+y^{2}\)

ちなみに、3乗にするとより複雑になります。
\((x+y)^{3}=x^{3}+3x^{2}y+3xy^{2}+y^{3}\)

数学者はもっともっと考えたいと思う生き物です。

これを4乗、5乗、そして10乗…と続いていけばどうでしょうか?

もはや計算できなくね?という領域にまで数字が大きくなってしまいます。

そんな中、パスカルは独自の視点からこの法則性を見つけ出したのでした。

それが「パスカルの三角形」です。

パスカルの三角形

パスカルは数学の1つの分野「二項定理」の係数が、三角形のような不思議な性質を持っていることを発見しました。

例えば、((x+y)^{2}=x^{2}+2xy+y^{2}\)の係数の並びは、1,2,1。

\((x+y)^{3}=x^{3}+3x^{2}y+3xy^{2}+y^{3}\)の係数の並びは1,3,3,1。

\((x+y)^{4}\)の係数の並びは1,4,6,4,1。

\((x+y)^{5}\)の係数は1,5,10,10,5,1

というふうに並んでいくというわけです。

数学界における、不思議な法則の1つなのですね。

パスカルの原理を提唱

パスカルは気圧に関する原理を発見しました。

これを「パスカルの原理」といいます。

このパスカルの原理は、例えば、ショベルカーや大きな機械を動かすのに応用されています。

当時は、トリチェというガリレオの一番弟子が気圧の実験をしていました。
その際にパスカルも一緒に実験を行っていたそうです。

その実験により「真空」の存在を発見したのですね。

その真空をさらに発展させ、実社会においても応用できるようにしたのがパスカルの原理なのですね。

フェルマーとの文通で確率論を発足

確率は、現代において必要不可欠なツールです。

例えば、降水確率や天気予報、地震や災害の起こりやすさ、人口推移率など、未来予測になくてはならない技術です。

この確率論の礎を構築したのがパスカルとフェルマーでした。

パスカルはサイコロ賭博に興味を持っていたのか、賭博の研究で予測について考え始めました。

そして、当時の天才数学者の一人、フェルマーとの文通によって確率という学問を確固たる形に磨き上げていったのですね。

数学者は何かとギャンブルにハマる傾向があるようです。しかしそれは、難問に挑戦するのが数学者ですから。

おそらくパスカルはギャンブルという数学を持ってしても難しいからこそ取り組んだのでしょう。

パンセを出版

晩年のパスカルは数学者ではなく思想家として、多くの時間を費やすようになります。

と言っても、パスカルは自身の思想を綴った数々のメモを残す程度でしたが。

この当時のパスカルは数学や科学よりも、思想や哲学的思考に関心があったそうです。

パスカルの死後、遺族がパスカルのメモを編集していきました。

それを刊行したのが「パンセ」という思想書です。

特に「人間は考える葦(あし)である」というフレーズはあまりにも有名です。おそらく一度は聞いたことあるのではないでしょうか?

このパンセという本は、パスカルの幸福観や、人生どう生きるかを綴った思想書です。

ちなみに、パスカルの思想はフランスの哲学者「ルネデカルト」の思想とは対立しており、パスカルは全て理性で世界を説明している一方、パスカルは「繊細な精神」という概念で、理性には限界があると主張しております。

もしかしたら、パスカルは宗教などを研究するうちに、理性の限界を知ったが故に、数学や科学への関心が薄れていってしまったのかもしれません。

パスカルまとめ

今回は、数学界の神童とよばれた天才パスカルの生涯を解説しました。

父親に数学を禁止されても数学をやったり、三角形の内角の和が180°であることを示したり。
気圧の原理や思想書など、いろんな業種でさまざまな貢献をしたパスカル。

なぜ、そんな業績が残せたのか。

もちろん天才だから成せる業もありますが、それ以上にパスカルが自分の興味・関心のままに動くという精神性があったからではないかと感じられます。

パスカルが発見した、円錐曲線定理やパスカルの三角形、パスカルの原理など興味があれば、ぜひ調べてみてください。

きっと面白いですよ。

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