古代数学史の振り返り〜紀元前から西暦400年代まで

どうも、丸田です。

このサイトでは紀元前から西暦400年代までの古代数学史をご紹介して行きました。

そこで今回はその歴史の振り返り記事を作成してみました。

目次

数学史4つの区分

そもそもではありますが、数学の歴史はおもに4つの区分ができると考えております。
※これはあくまで、個人的な分け方であることをご了承ください。

  1. 紀元前5000年〜西暦400年頃:古代数学(数学の論理体系の構築〜暗黒時代まで)
  2. 西暦1200年〜1600年頃:中世数学(方程式の研究、幾何学の代数学の融合)
  3. 西暦1600年〜1900年頃:近代数学(微分積分の誕生)
  4. 西暦1900年〜現在:現代数学(公理の厳密化、人間味の排除)

区切りポイントはズバリ「数学は1段階進化した」タイミングです。

数学が論理の学問から、グラフへ、そして微分積分で科学に貢献、現代は厳密化というステップを踏んで今の数学が存在します。

今回は紀元前5000年〜西暦400年頃:古代数学(数学の論理体系の構築〜暗黒時代まで)についてまとめて参ります。

紀元前5000年〜500年まで

まず人類が誕生して都市を形成し、生活を安定させるまでは、最低限の計算技術、図形への理解が必須でした。

具体的には作物の収穫、建物の建設など。

丸田

ちなみに、天体の動きの予想も重要でした。
ですので、この時期に天文学も発足しました。

そこで昔の人たちは数字を発明し、それを実社会の活動におおいに役立てたのですね。

【参考記事】数字の起源とは?数字が発明された時期や場所について

紀元前500年〜哲学者タレス現る!

ある程度、人々の生活が安定していくと、より高度の知識を探求する人々が増えて行きました。

その中でも、当時一番活躍したのが哲学者・数学者の「タレス」です。

数学の始祖 タレス

【参考記事】数学の始祖・哲学の父と呼ばれる偉人タレスについて

タレスはさまざまな伝説を残しましたが、その中でも人々に一番影響を与えた思想は「万物は水である」でしょうか。

もちろん万物が水であるかどうかはわかりませんが、この世の根源を突き止めようとした姿勢はすごいですよね。

その影響を受けた人物の一人が「ピタゴラス」でした。

ピタゴラスによって数に神秘性がまとわれる

ピタゴラス

ピタゴラスはタレスの影響を受け、学問へ励みます。
タレスもピタゴラスを非常に気に入っていたそうです。

そんなピタゴラスは、エジプトでも数学や天文学などを学び、そして数を崇拝する宗教団体を作りました。

【参考記事】三平方の定理を証明した数学者ピタゴラスの波乱万丈な生涯

最後は散々な結果となってしまいましたが、ピタゴラスの研究結果は非常に大きく、その中でも有名なのが「三平方の定理」です。

ピタゴラスが発見した幾何学のさまざまな性質に関心を寄せる人物が一人。

それが哲学者プラトンでした。

宇宙を構成する立体

プラトン

プラトンはソクラテスの死後、哲学の研究の旅に出ます。

その旅先で出会ったのがピタゴラスの定理でした。

プラトンは自身の「イデア」という哲学だけでなく、この宇宙を構成する要素と幾何学には神秘的な関係性があるに違いないと考えました。

そこで提唱したのが「プラトン立体」なのですね。

【参考記事】哲学者プラトンとは?功績やアカデメイアについて

プラトンはその他、さまざまな哲学書を書き、そしてアテネに「アカデメイア」という学校を設立したのでした。

このアカデメイアにて、数学を学び、そして幾幾何学の学問体系を築いた天才が現れます。

それがユークリッドでした。

幾何学の父ユークリッドにより、数学への信頼性が高まる

アカデメイアは数々の名だたる数学者を輩出したと言われております。

その中でも特筆すべきがユークリッド。

ユークリッドについて

彼は数学における非常に重要な「公理」という議論の大前提を確立し、数学の確固たる信頼を築きました。

これにより、論理の土台が構築されたのですね。

そして、当時栄えていたエジプトの大都市、アレクサンドリア大学の教員として就任。

幾何学の研究の果て、ついに幾何学の公理を定め「原論」という書籍として出版。

なんと世界で2番目に売れた本として大・大・大ベストセラー本として有名になりました。

【参考記事】【大ベストセラー!】幾何学の父、ユークリッドの功績と生涯、原論について

この原論という本は、幾何学や数学を研究する人物に多大なる影響を与えました。

その影響に感化されたのが発明の天才、アルキメデスでした。

発明王アルキメデスにより、円の研究が進む

アルキメデスについて

アルキメデスといえば、数学・発明・戦争でしょうか。

数学への知識が深いだけでなく、発明を数多くしており、武器としても活用しておりました。

アルキメデスは、ユークリッドが活躍したアレクサンドリア大学へ進学し、そこで優秀な科学者となりました。

以降は、数学への研究に没頭し、円周率や円の面積、体積を求めることに成功します。

他にも、浮力の発見やてこの原理なども活用し、数学と発明に尽力したのでした。

【参考記事】古代の大発明家、アルキメデスの生涯、後世に残した業績について

古代数学最後の人物 ヒュパティア

アルキメデスの時代から少し時代が飛んで、西暦400年頃。
アレクサンドリアで活躍する女性数学者・哲学者・天文学者がいました。

彼女の名はヒュパティアです。

ヒュパティアについて

当時の男性社会であるにもかかわらず、天体の研究に没頭し、数学書や科学書に注釈をつけるなど、秀才ぶりを発揮していました。

世界でも知識の中心地と呼ばれる「アレクサンドリア図書館」の館長を務め、さらには哲学を教えていました。

その活躍ぶりに多くの人は尊敬と信頼を寄せていました。

最後は激化した宗教対立に巻き込まれてしまい、命を落としてしまいますが、その活躍ぶりはその時代を支えるほどの影響力だったと思われます。

残念なことに、アレクサンドリア図書館も破壊されてしまい、この時代を機にヨーロッパの数学は暗黒時代を迎えてしまいました。

【参考記事】世界初の女性数学者・哲学者ヒュパティアの生涯とその業績について

ここで古代数学史は一旦終了となります。

振り返りのまとめ

今回は古代数学史として、紀元前から西暦400年頃までをご紹介しました。

数学は当時の人々の文化や思想によって、少しずつ見え方が変わるのが非常に興味深いですよね。

ヒュパティア没後、暗黒期に入ってしまいますが、この時期がすぎるとまた新たな数学の文化が花開きます。

次回の数学史は、華やかしい中世数学の始まりからスタートして行きます。

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